潤一郎と北斗は、その後小一時間ほどつぶしてPage55を出た。 「高橋と葛城を連れてくるって、アテあるのか、武藤?」 北斗が少し心配してそう聞く。その北斗に、潤一郎はにっと笑い返す。 「モチのロンやで。男ばっかで泳ぎに行ったかておもろないからな。それより佐竹、陸上部、次の休みいつや? 合わしたるで」 「次の休みか?」 北斗は部活の休みを思い出しながら、またなにか潤一郎が企んでいるのかと考えを巡らせた。 ルルルル…。 「はいはいはいはい〜!」 高遠家の電話がけたたましく鳴る。その電話のけたたましさに負けない声で、真由子が電話の向こうの人物に聞こえない返事をしていた。 「はい、高遠です」 『よお、真由子ちゃんか。武藤潤一郎や』 「ああ、武藤先輩、こんばんは!」 体育会系の元気な返事が、受話器の向こうに投げられる。 「お兄ちゃんですね、ちょっと待ってください。おにーちゃーん! 武藤先輩から電話ーっ!」 その声に、扉の向こうから面倒くさそうな声が返ってくる。なんテンポが遅れて、ようやく圭介が姿を見せた。 「はい」 「おう、サンキュー」 にっこり笑う真由子に、相変わらず仏頂面で圭介は受話器を受け取った。 「おす、武藤」 『よう。君をパラダイスに招待しよう』 「そんなもんいらん。さっさと日時教え」 潤一郎のボケを軽くいなしておいて、圭介はそう言い切る。 『そう冷たい対応すんなや。日時は明後日や。9時に新深江大プールの入り口でな。入場料忘れんなや』 「へえへえ」 元気いっぱいの潤一郎に反して、圭介は本当に面倒くさそうだ。 『宣言通り、高橋と葛城は確保したさかいに』 「へえ。あのふたりがよお来る気になったな」 その点には圭介も感心する。ふたりとも来ないと思っていただけに。 『まあな。それは俺の人徳や。ま、そう言うことでな』 「ああ、ほんなら当日な」 そこで、電話は切れた。 「ね、お兄ちゃん、武藤先輩なんて?」 好奇心いっぱいの目で、真由子は聞いてくる。明らかに、潤一郎の電話からなにかイベントを期待しているようだ。 「プールに行く日時だよ。明後日の9時だってさ」 「新深江?」 「来る気か?」 「行く!」 うんざりと言った表情の圭介に、真由子は元気いっぱいでそう答えた。 「あかんの?」 「あかんとは言わへんけどな」 「奢ってとか言うてへんやんか」 「お好きにどうぞ」 「由衣ちゃんも誘ってい〜こう!」 指を鳴らしながら、圭介の出した結論に喜ぶ。圭介はその姿に大きくため息をついた。 「マスター、明日休ましてください」 翌日、バイトに出るなり圭介はマスターにそう切り出す。今回ばかりは先にマスターに話が通っているだけに気兼ねなど全くない。 「プールかい?」 「ええ。なんか急に明日になったらしいですわ」 「いいとも、いいとも。行ってきたまえ。わかってるね、高遠くん。女子高生だよ?」 そう言うマスターのいつもと少し違う様子に、圭介は気づけない。事情を知っている恵里佳だけが、隅で含み笑いをもらしていた。 「わかりましたわかりました。しっかりマスターのために観察してきますよ」 圭介はそう言いながら、更衣室へと入っていく。 「マスターマスター」 「明日だそうだ」 「わっかりました。どうせ潤一郎のことやから、朝イチから行くと思いますんで、少しずらした時間ちゅうことで」 「了解した」 圭介のいぬ間にマスターの恵里佳の密談は完了する。 圭介はなにも知らない。 翌日になった。 新深江大プールは圭介たちの住むマンションからは南に2キロほど下った埋め立て地の中ほどにある。造波プールや流れるプール、スライダーなどもあるが、甲南市営と言うことで入場料は比較的安めに押さえられていた。 圭介と真由子は、時間に間に合うように自転車でマンションを出る。途中にある深江駅で、由衣と合流した。真由子の自転車にふたり乗りになり、けらけらと笑う同級生ふたりは後ろに捨てておいて、圭介は素知らぬ顔で自転車を進めていく。 プールまで来ると、もう既に潤一郎や晶たち菟原組は待っていた。 「おめーがラストや! 高遠!」 潤一郎の声が響く。その周りで晶たちが笑っていた。 「おめーらが早過ぎんねん」 「こっちはバスやからな。一緒にせんといてや」 圭介の愚痴に、晶がそう言って笑う。 「あれ、斉藤と安藤も来たんか?」 真由子と由衣の姿を見つけて、北斗はきょとんとした顔をする。 「おはようございます、先輩!」 「あたしら、ふたりで遊んでますんで」 真由子と由衣はそう言ってまたふたりで会話に花を咲かせた。少しだけ狼狽えた風を見せた由衣の姿は、北斗には気づかない。軽く目の端に真由子の姿を入れた後、北斗は仲間たちの方へ視線を戻した。 「ようし、全員そろったことやし中入るか!」 潤一郎がそうぶち上げると、全員うなずいてゲートをくぐった。 夏休み終盤とはいえ、朝開業してすぐのプールは人も少ない。着替えに時間のかかる女性陣をよそに、さっさと着替え終わった潤一郎は屋根のある場所にレジャーシートを広げて休憩場所を確保する。 「ホンマにこういう時だけは行動速いな」 呆れたように言う圭介に、潤一郎はニヤッと笑う。 「これからはこういう『気のつく男』の時代なのだよ高遠くん。わかるかな?」 「その気色の悪いしゃべり方やめっ」 「マスターがもう一人いるみたいやな」 渋い顔の圭介に、北斗は苦笑いだ。そうこうしている内に、着替えの終わった女性陣が圭介たちを見つけてやってきた。 「ほら見ろ、誘って良かったやろ?」 「どーだか」 パーカーやTシャツを羽織っているとはいえ、水着の綺麗どころ四人を目の前にして、潤一郎は得意そうだ。それに対しても、圭介は素っ気ない。 「ま、まずは肩慣らしやな」 「そうするか」 軽く準備体操をして、圭介と北斗は競泳用のプールへ飛び込んだ。 「あれ? 高遠と佐竹は?」 潤一郎が用意した休憩スペースにやってきた晶が、見あたらないふたりをそう聞く。 「早速泳ぎに行きよったで」 潤一郎はそう言いながら、競泳用スペースの方をあごで指す。その時にざっと晶の上から下までを眺めることも忘れない。 「元気やなあ、あいつら」 呆れるような声で言う横で、真由子と由衣の1年生コンビがうなずきあう。 「あたしらも泳ぎに行ってきます」 「行ってきまーす」 そう言うと、タオルなどの荷物を置き、パーカーを脱いで駈け出した。 「行かへんのか?」 「あたし? あたしはまだええわ」 晶は陽を振り返ってからそう言うと、レジャーシートに腰を下ろした。 晶はしばらくぼーっと周囲を眺める。泳げない晶は、あまり水に入る気がしていないのだ。だが、それも人の少なさも相まって、退屈してくる。陽を振り返ると、陽はじっと圭介の姿を目で追っているようだ。陽には、それで今日来た意義は十分にあるらしい。陽の手前、晶は気になっても圭介の姿は追えない。 そんな様子を少し離れたところから見ている人影があった。 マスターと恵里佳だ。 正確に言えば、恵里佳は圭介を中心とする人間関係に興味があり、マスターはメンバーの女性陣にしか興味がない。もちろん、水着姿の恵里佳もその対象に入ってはいるが恵里佳はわかっていて全く意に介していない。マスターなどは変装のためにサングラスをしているのだが、ほとんど白髪の壮年だがあまりりにも壮年離れした若々しい体型に白い口ひげも手伝って、返って目立っていると言ってもいい。そのサングラスの奥の瞳が、キラッと光った瞬間がある。 「陣内くん、陣内くん」 「はい?」 圭介の周辺に集まるのが従妹の真由子と、見知らぬ真由子の友達だけとあって、少々退屈していた恵里佳に、マスターが急に声をかけた。 「あの子は知っているかい? あの、高遠くんにまとわりついている小さい子だ」 言われて、恵里佳は改めて圭介の方を眺める。 「ああ、あの子は圭介の従妹の真由子ちゃんですわ。確か、今高1ですよ」 その恵里佳の言葉で、マスターの目がさらに光を増す。 「高1! 16歳か! 素晴らしい!」 「は?」 恵里佳は目を点にして素っ頓狂な声を上げる。 「あの明るい表情! あの茶色の大きな瞳! あの小さいながら均整のとれたボディ! 何よりも16歳という若さ! 素晴らしい!」 そう言うマスターの横で、恵里佳は思わず頭を抱えそうになった。 どうやら真由子はマスターの琴線に触れてしまったらしい。 「若いというのはいいな、陣内くん!」 「そうっすね」 マスターの気合いの入りようがわかるだけに、恵里佳は虚ろな表情を返すことしかできない。 (真由子ちゃんだけやのうて、こりゃあ、圭介も災難やな) そう思いながら、恵里佳は改めて真由子に顔を向けた。若い牝鹿を思わせる元気な表情と、いかにもロリコンなマスターが好みそうなベビーフェイス。さらにまたロリコンのマスターが好む背の低さ。それでいて、スタイルも悪くない。確かにここまでマスターの好みに合う女の子はそういないだろう。 (まあええか…。どうせやったらかき回した方がオモロなるかな…) ようやく水に入り始めた晶や陽、潤一郎という面々にも目を向けながら、恵里佳はそう考えを変えた。 「真由子ちゃんは圭介と二人っきりで同居してますよ。真由子ちゃんほしいんやったら、圭介に協力してもろたらどないです?」 「それはいい考えだな、陣内くん!」 提案に予想通り飛びついてきたマスターに、恵里佳はまた虚ろな表情を返した。 |