ようやく水に入ってきた晶たちを見つけて、圭介と北斗も競技用のプールから流れるプールへ移動してきた。真由子と由衣は、もう少し前に造波プールへ移動して波と戯れている。
「なんや、結局入ってきたんか、高橋も葛城も」
「武藤がうるさいからな」
 少し憮然とする晶の後ろで、潤一郎はニコニコ笑っている。
「ま、とりあえず3週くらい流れよか」
「流れるってな」
「泳がれへんのやろ、高橋」
 圭介がそう言うと、晶の表情が凍り、陽は不安そうな表情を晶ではなく潤一郎に向けた。
「そりゃあもう、高橋にはしっかり水飲んでもらって、もっと健康的な肉体になってもらわんとな」
「やめっ、武藤!」
 言うが早いか、潤一郎は笑顔のまま、晶を沈める。泳げない晶は必死でもがくが、力の強い潤一郎にはなかなか敵わない。
「ちょ…ちょっと武藤くん!」
 陽が悲壮な声を出して、そうやく晶は水面から顔を出すことができた。
「武藤! なにすんねんっ!」
 そう言った瞬間、流れに足を取られて、晶はまた自爆したように沈んでいく。
「…悲惨やな、高橋」
「ホンマや…」
 圭介と北斗はそう言って、なま暖かい目で流れていく晶を見ていた。
「ま、とりあえず助けたるか。責任の一端は俺やしな」
 潤一郎は笑いながらそう言うと、どぶんとプールに潜る。流れの先にパニックを起こしてもがいている晶の姿が見えた。
(あの高橋が、ここまで狼狽えんねやなあ)
 そう思うと少し可笑しくなったが、晶の下に潜り込むと、潤一郎は一気に晶を抱き上げた。
「うわ〜、塩素混じりの水飲んでもうた〜っ!」
「悪いな、高橋」
 咳をする晶をお姫様だっこで抱き上げながら、潤一郎はそう笑う。
「だいたい武藤が!」
「お?」
 そう抗議をしようとしていた晶を抱く潤一郎の足に、潜水で流れてきた子供がぶつかっていく。
「あらららら」
 バランスを崩して、そのままふたりともまた水の中に消えた。
「なにコントやっとんねん、あいつら!」
 北斗が慌てて泳ぎ出す。
「しゃあねえなあ…」
 圭介もその北斗を追いかけた。
 陽は、髪が濡れるのを嫌がってか、泳がずにそのままうまく流れていく。
 ようやくたどり着きそうな北斗のすぐ先で、さっきと同じように潤一郎が晶を抱えたまま顔を出した。同じ轍を踏みたくなかったのか、そのまま晶をプールサイドに上げてやる。そこで足を滑らせて、潤一郎はまた水の中へ消えた。
「どこまでコントやっとんねん、アイツ…」
「大丈夫か? 高橋?」
 晶の無事を確認した北斗が呆然と顔を上げながら流れていく潤一郎を見送ると、その間に圭介は晶に声をかけていた。
「う〜、水飲んだし、鼻に水入った〜っ!」
 涙目で苦しそうに咳をする晶を見ると、圭介はさすがに不憫かなと思う。
「晶ちゃん、大丈夫?」
「なんとか…」
 追いついてきた陽も、心配顔でそう聞いてくるが、晶はようやく大きく息を吐いた。
「武藤!」
「悪い悪い」
 ようやく水から上がってきた潤一郎に、晶は抗議の右手を挙げる。
「とりあえず戻ろうぜ。高橋ちょっと休ませてやれよ」
「そうだな」
 圭介の提案にそううなずくと、潤一郎はもう一度晶をお姫様だっこで抱え上げた。
「武藤!」
「ええやんええやん。運んだるわ」
「降ろせ、アホーっ! 触んなーっ!」
 ニッと笑う潤一郎に、晶の罵声が飛んだ。

 休憩スペースに戻ると、横になった晶はすぐに眠ってしまった。足のつく深さだとは言え、溺れそうになってパニックを起こしたのはよほど堪えたらしい。
「葛城、どうする? また俺ら泳ぎに行くけど、来るか?」
 眠ってしまった晶にバスタオルをかけた後、陽は聞いてきた圭介に小さく首を振った。
「わたし、晶ちゃんの様子見とく。高遠くんたち、行ってきて」
「そっか。じゃあ、高橋のこと頼むな」
 うなずく陽に笑顔を見せた後、圭介たちはまた水へ戻っていく。
「元気だなあ、男の子は…」
 そう言って、陽はまぶしそうに圭介たちを眺める。
 夏の日差しが、水面できらきらと反射していた。
「ねえ、晶ちゃん…」
 そう晶に話しかけてみても、晶はすっかり眠ってしまって、返事など返ってこない。
「武藤くん、きっと晶ちゃんのこと好きなんだよ…。だから、ついついいじめたりからかったりしちゃうんだね…」
 そう言って、陽はもう一度視線を圭介たちに戻した。派手な水しぶきを上げて、圭介が水面に落ちる姿が見える。どうやら潤一郎に放り投げられたらしい。
「わたしも、もうちょっとがんばろう…。2学期には、もう少し近づけるように…」
 陽はそう呟くと、目を細めて圭介の姿を追った。


 プールは終わった。
 圭介たちには、残り少ない夏休みでのバイトと宿題地獄が訪れる。
「おはよーございまーす」
 その翌日、圭介はいつものようにPage55を訪れた。
「よお、高遠くん、おはよう」
 そう言うマスターはなんだかやけに日焼けしている。それも、サングラスの形だけ残しての日焼けだ。
「マスター、どっか行ってきたんですか、昨日?」
「うむ。ちょっとしたバカンスにね」
「バカンス…?」
 そう圭介は怪訝な顔を返す。その怪訝な顔のまま、更衣室に入った。
「おっす、圭介」
 そう笑顔を向けてくる恵里佳は、逆にまったく普段通りだ。入念に行った日焼け対策の成果だ。もっとも、マスターが真っ黒になっているだけに、その効果自体は半減していると言ってもいいのだろうが。
「着替えるんやろ? 交代するわ」
 恵里佳がそう言って出ていくと、更衣室で圭介は鞄を開ける。
「あれ?」
 入れたはずのワイシャツが入っていなかった。洗濯に持って返ったはずなのだが、どうやら入れ忘れてきたらしい。
「マスター、電話かしてください」
「どこにかけるんだい?」
「家ですよ。ワイシャツ忘れてきたんで、従妹に持って来さします」
 受話器を取る圭介を見ながら、マスターの目がきらりと光る。その様子を見て、恵里佳はまた頭を抱えそうになった。
 それから10分ほどすると、店の入り口につけたカウベルがなって、菟原高校の制服に身を包んだ真由子が現れた。
「おはようございます! お兄ちゃん…じゃなかった、高遠圭介、いますか?」
 一方通行でしか面識がないので、面識がない真由子は丁寧に頭を下げてから、マスターにそう声をかけた。
「ああ、いるとも。君が、高遠くんの従妹かい?」
 マスターはカウンターから出てきて、真由子の前に立つ。30センチの身長差は真由子を本当に子供に見えさせる。
「はい。お兄ちゃんがいつもお世話になってます」
 真由子はそう笑うとぺこっと頭を下げた。
「そんなことはない。いつも世話になっているのはこちらの方だ」
 マスターは真由子の両手を掴むと、腰をかがめて真由子と目線をあわせ、そう力説する。
「は…はあ…」
 真由子はそのマスターにあっけにとられ、ぽかんとした表情を見せた。
 そんなところへ更衣室から圭介が顔を出す。
「あ、お兄ちゃん! 忘れ物なんかせんといてよ! 部活遅れるやんか!」
 マスターに両手を握られたまま、真由子はそう声を上げる。それで圭介に気づいて、マスターは真由子を解放した。
「悪い悪い。サンキュー、真由子」
「ホンマにもう…。次はあらへんからね。またなんか奢ってよ」
「へいへい」
 ワイシャツを受け取りながら、圭介はそう悪態をつく。その様子に大きくため息をつくと、真由子は笑顔をマスターに向けた。
「お騒がせしました。失礼します」
 ぺこっと頭を下げると、ドアのカウベルを鳴らして真由子は学校へと向かった。
「高遠くん」
 着替えて出てきた圭介に、マスターは声をかける。
「なんですか?」
「真由子くんをわたしにくれんかね?」
「は?」
 突然の言葉に、圭介は怪訝な顔をし、恵里佳はその後ろで「あっちゃあ…」と右手を額に当てた。


 夏休みは、もうすぐ終わろうとしている。
 圭介を囲む環境に、また混乱の渦が加わった。

                                  To be continued…

2007.02.25 Ver.1.00 Up
2007.09.06 Ver.2.00 Up

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