Summer Side サマー サイド 夏休みも、後もう少しで終わろうとしている。 長い休みは、勉強する時間が少なくてすむかわりに、刺激も少ない。 恵里佳はバイト先の喫茶Page55で休憩時間にぼんやりしながらそんなことを考えていた。 (退屈やなあ…。なんかおもろいことあらへんやろか…) 学校に行けばなにかと構ったり構ってもらったりしながら時間は過ぎていくが、Page55の客は常連を入れても常に満席などと言うとこはなく、それなりに空き時間ができていた。その空き時間が退屈で仕方ないのだ。恵里佳がバイトをしていることを知っている友達は、なかなか遊びにも誘ってくれなかった。 「あ〜、ダル〜」 そんなところへ、圭介が鬱陶しい顔をしながら入ってくる。こちらも、退屈して仕方ないようだ。 「今日、ヒマやなあ」 「いつもより客少ないな」 そんな会話がかわされる。 「こんな量やったら、マスターひとりでもなんとでもなるやん」 「そりゃあそうやな。でも、ウェイターやウェイトレスがおれへんのも格好つかんのやろ?マスターらしいやんか」 「まあ、バイト代くれるからええねんけどな」 そう言って、圭介は肩をぐるぐる回した。いくら客が少ないといっても接客業だ。あまりだらけてはいられない。それだけに肩が凝る。 「恵里佳、宿題終わったか?」 「そんなわけあらへんやん。これからやで。これから」 「おまえ数IIクラスやろうが…。ただでさえ数学楽しとんのに、ええなあ…」 同じ文系クラスであっても、数学が週3時間の数IIクラスと週6時間の基礎解代幾クラスでは、自ずと課題の量も違う。圭介はその量の差をぼやいた。 「圭介も数IIにすりゃ良かってん」 「まあな。でも、一応進学考えとおからな」 「なら、しゃあないやん」 圭介のボヤキを、恵里佳はそう言って笑い飛ばす。自分の頭のレベルではこれしかないと1年の時に痛感したのだから、恵里佳に迷いはなかった。 「ほんなら、先戻るわ。もちょっとゆっくりしとき」 「ああ」 恵里佳はようやく腰を下ろした圭介を見届けてから、ホールへ戻った。 カウンターでは、マスターがまた新しいブレンドの配合を研究している。店内に客はない。 「マスター、また配合考えてはるんですか?」 ホールに戻ってきても退屈なのは嫌なので、恵里佳はマスターの作業に口を挟む。 「ああ、今日の豆はいつもと違うところから仕入れてね。配合で新しい味が出ないかと思ってね」 そう言いながら、マスターは全く恵里佳の方を見ない。作業に集中しているようだ。 「ほら、これなんかどうだ? いつものブレンドより深みがあるだろう?」 そう言って、マスターは入れたコーヒーを恵里佳の前に出す。 「ウチたいがい味音痴ですよ? マスターも知ってはるでしょ?」 「まあ、そう言わずに」 そう言われて、恵里佳はコーヒーを口に運ぶ。ほわんと香る香りも、苦みも普段店で出すコーヒーと変わりがないように思える。この手のブレンドだけでメニューには20種類もあるが、恵里佳は全く違いがわからなかった。 「やっぱりわかりませんねえ」 「そうか…。高遠くん呼んできてくれるかい?」 ガッカリするマスターに苦笑いを返しながら、恵里佳はうなずいて更衣室のドアを開いた。 「圭介、マスターが新作の味見してって」 「へいへい」 退屈しのぎに軽く体を動かしていた圭介は、またかと言う顔をしてホールへ戻っていく。 「高遠くん、新作の味見頼むよ」 「はいはい、いただきます」 圭介はぼやくようにそう言うと、カップを取って口に運んだ。だが、圭介もコーヒーに蘊蓄があるわけでもない。微妙な違いなどはわからないのだ。 「俺でも無理です。わかりません」 「そうか…」 「だいたい、バイトのウチらが、常連のお客さんほど舌肥えてるはずないですやん」 肩を落とすマスターに、恵里佳は苦笑いを浮かべながら背中を叩く。 「そうですよ。常連さんに聞かれたらどうです?」 圭介も渋い顔でそう言う。 「仕方がないな…。そうするよ」 そう言ってコーヒーを戻したマスターは、まだ「567号よりは深みがあるが、酸味は抑えられているはずなんだが…」などとブツブツ言いながら奥へ引っ込んだ。 「もうちょっとコーヒーに蘊蓄のあるバイト雇えばええのにな」 自分の立場をコロッと忘れた恵里佳の声が、ホールに響く。圭介はツッコミ返す気力もなく、聞き流していた。 そこへ、カウベルの音が響く。 「いらっしゃいませ」 「よう、恵里佳!」 素早く対応に出た恵里佳の声に、聞き慣れた潤一郎の声が被さった。 「潤一郎やん。お久なやあ。なにしに来たん?」 「なにしに来たとはご挨拶やなあ。恵里佳口説きに来たに決まってるやん」 そう言いながら、慣れた手つきで潤一郎は恵里佳の腰に手を回して抱き寄せる。 「佐竹も一緒に連れてきとってよう言うわ。そう言うときはひとりで来い」 恵里佳はにべもなくそう言ってその手を払いのけた。潤一郎の後ろでは北斗が苦笑いだ。 「ほんまなにしに来たんや、武藤?」 少し迷惑そうな顔で、圭介はそう武藤に聞いた。武藤の返事は笑顔全開だ。 「そりゃあ、もう夏休みも後少しやからな。パーッと遊ぶ計画でもしようやないか」 「ま、そう言うことや」 笑顔満開の潤一郎に対して、北斗はまだ苦笑いのままだ。そしてそのままカウンター席に腰を下ろす。 「やあ、武藤くんに佐竹くん。久しぶりだね」 騒がしいホールの声に、マスターもカウンターの中から声をかけた。 「ご無沙汰ッス」「こんちは〜。暑うおますな〜」とどちらがどちらか書かなくてもわかりそうな挨拶がマスターに飛ぶ。 「そうだ、武藤くん、君コーヒー好きだったね」 「もちろん。ブラックがいちばんです」 思い出したように言うマスターに、潤一郎もわざとらしく身を乗り出して応える。うんうんとうなずいてから、潤一郎と北斗の前にさっきのコーヒーが出てきた。 「ちょっと味見をしてくれないか。新作を試験中なんだ」 「是非、いただきます」 圭介の苦笑いを確認する北斗の横で、潤一郎は恭しくコーヒーを受け取り、口に運んだ。 「おおっ! これは深い! いつものブレンドより格段に深い味わいですよ、マスター! それに、まろやかです!」 「わかるかね!?」 「わかりますとも!」 「そうかそうか!」 ようやく理解者を見つけられたマスターは、喜んで潤一郎の肩をバンバンと叩く。横の北斗は圭介や恵里佳と同じく、全くその違いがわからずに首を傾げていた。 「それはとりあえず置いといてやな。遊ぶ計画って、なにする気なんや?」 感無量のマスターを横にうっちゃっておいて、圭介は潤一郎にそう声をかける。 「そりゃあ、夏言うたら、決まっとおやろ?」 「花火は見に行ったやないか」 「ちゃうちゃう! 夏と言えば、海! きらめく太陽! 打ち寄せる波! 水着の女! わかるやろう、圭介!」 そう盛り上がる潤一郎に、圭介はやれやれと言った感じで腕を組む。 「須磨海岸は嫌やぞ。人多いしそんなに泳がれへんやんけ、あそこ。そんなんやったら近所のプールでええやないか」 「俺もそう言うてんけどな」 北斗もそう圭介に同調する。 「それに、男3人で行ってナンパでもする気か? それやったら武藤ひとりで行った方が成功率上がるやろうに」 「陸釣りはもう飽きた。今年の夏はもう釣り納めや」 そのセリフにため息をつく圭介の後ろで、恵里佳が笑い転げる。 「さっすが、潤一郎やん。何人食ったんや、今年は?」 「まあ、15人くらいか。これからは主戦場をスイッチや」 そう言って格好をつける潤一郎に、恵里佳はまた笑い転げた。 「おまえの種付け記録はええから、ホンマにどないする気なんや?」 「高橋たちを誘ってやろうや」 「は?」 北斗も初耳らしい。圭介と同じように、潤一郎に聞き返していた。全く予想外に近い名前だ。 「あいつら部活入ってへんし、結構頭ええからこの時期はヒマしとおはずや。お互い暇人同士、遊びに行くんはどないや?」 そう言う潤一郎に、圭介と北斗は思わず顔を見合わせる。 「誘うたとこで来るか、あいつら」 「ただでさえ高橋に嫌われてんねんぞ、武藤」 ふたりの口から出てくるのは否定的な意見ばかりだ。 「大丈夫やって。来る来る。当日があの日に当たらんかったらな」 最後の一言で、圭介と北斗にしらけた空気が漂うのも、潤一郎は気にしない。彼にはそれなりの勝算があった。そのためにも、北斗はともかく圭介を引っ張り出さねばならない。 「な?」 潤一郎のだめ押しに、圭介は渋い顔で腕を組む。夏はバイト代を稼ぐいいチャンスなのだ。ただでさえ真由子にあっちこっちへと引っ張られているだけに、バイトに入る日数を減らしたくはない。 「ええやん、圭介。行ってきいや。ウチひとりおったらホールは何とかなるし。な、マスター」 「そうだとも! 水着の女子高生だぞ、高遠くん!」 「いや、マスターの主観は結構ですから」 そうもう一回マスターをうっちゃっておいて、圭介は顔を上げた。 「そこの新神戸大プールやったらつき合うわ。その代わり、武藤が高橋と葛城引っ張ってこいよ」 「おっしゃ! ほんならそれで手打とうやないか」 潤一郎は思い通りに事が運んでしたり顔だ。それが、少し圭介には気に入らない。 「ホンマに連れて来いよ」 「任せ任せ! どーんと高橋も葛城も連れて来るさかい! マスター、さっきのコーヒーもう1杯!」 「はいよ〜」 そう返事をしてコーヒーを煎れるマスターに、つつつと恵里佳が近寄っていく。 「マスター、面白そうやからウチらも行きません? 水着の女子高生ですよ」 小声でマスターにそう囁く。マスター殺しのキーワードも忘れない。 「そりゃあ、名案だな陣内くん」 コーヒーを煎れながら、マスターは小声で返しひとりでうなずく。 「その日は臨時休業だ」 その言葉に、恵里佳はにっと笑い返した。 潤一郎が言い出したことなら、なにか裏があるはずだと読んだ。ならば、少しちょっかいを出してやろうといういたずら心が、恵里佳の心で舌を出していた。もちろん、圭介はまだ気づいていない。 |