週末土曜日の午後。 圭介は学校が終わってから、久しぶりに家でのんびりしていた。 真由子は部活で夕方まで戻らないし、バイトも今日はシフトからはずれている。 「たまには有意義に昼寝三昧でもするかなあ…」 そう呟きながら微睡んだそのとき、玄関のチャイムが鳴った。 「なんや? 人がせっかく寝ようと思っとったのに…」 圭介は憮然とした面持ちで部屋から出て、インターホンをとる。 「はい?」 『あたし、美幸』 「は?」 圭介は突然の来訪者にめまいのする思いだった。 「やっ!」 玄関ドアを開けると、そこには美幸の明るい笑顔がある。 「なんや、突然」 「トゲある言い方やねえ…。女の子でもつれ込んでんの?」 圭介の表情と声色に、美幸は背伸びして部屋の中をのぞき込む。 「誰が連れ込むか! 昼寝しようとしてたんや」 「あ〜、そりゃあ失礼」 そう言いながらも、美幸に悪びれたところは全くない。恵里佳にバイトのシフトを確認し、圭介がフリーなのを確認しての来襲なのだ。圭介のぐうたら私生活も当然織り込みずみ。出かけていることはないと踏んでいたが、その勘も当たった。 「なんか用あるんやったら、あがれ」 「おっじゃましまーす」 圭介の言葉に、美幸はなんの躊躇もなく部屋にあがってくる。「わあ、圭介の部屋なんて久しぶりや〜」などと歓声を上げていた。 「わざわざ訪ねてきたってことは、なんか用があんねやろ?」 美幸に椅子を勧めてから、圭介はベッドに腰を下ろして美幸にそう聞く。美幸がなんの用事もなくここを訪ねてくるはずないことはよくわかっていたからだ。 「うん。そろそろ材料の価格調査に行こうと思って」 「たこ焼きのか」 「そうそう。今からヒマ? やよね」 圭介の様子を見てそう言うと、美幸は笑う。疲れてもいないのに昼寝をしようとしていた人間が、暇でないはずはない。 「ああ、ヒマや。約束した以上つきおうたる」 圭介はそう言うと、ため息をついた。美幸の突発的行動は今に始まったことではないが、こう毎回だとさすがに少し疲れてくる。それでも、幼なじみの気安さとはいえ、頼りにしてくれることに悪い気はしない。 「材料、どこに見に行くんや?」 「たこ焼きやから…やっぱり明石?」 そうストレートに言う美幸に、圭介はがっくりと首を垂れた。明石は確かに漁港で、蛸も名産のひとつだが、あまりにも短絡すぎる。第一、たこ焼きに使うのは生ダコでないことが明白だ。 「なんかアテあるのか?」 「え〜、ないよ。だって明石って、たこ焼きの本場やんか」 「あれは、明石焼きやろうが。あっちでは卵焼きって言うらしいぞ。それに、たこ焼きとは別もんやし」 「そうなん?」 そんなコントのようなやりとりがあった後、圭介はまたがっくりと首を垂れた。 「マスターに聞いてみたるわ。こんなんやったら今日中になんか調べつくか」 「あ、ホンマに? 助かるわあ」 美幸はそう言って破顔する。素直に喜んでくれるのはうれしいのだが、この天然素材を扱うのは本当に骨が折れた。 「いくぞ、美幸」 「は〜い!」 そのやりとりの後、ふたりは部屋を出てPage55に向かう。 「いらっしゃいませー…って美幸ちゃんと圭介かいな」 出迎えた恵里佳は、接客用の笑顔を露骨に普段着に戻してしまう。 「結構な対応やな」 「あんたバイトとはいえ従業員やんか。他に客もおらへんのに、接客用の対応なんかできるかいな」 はっきりとわかる作り笑顔でそう言いあうふたりを美幸は微苦笑で眺めるしかない。 「で? まさか美幸ちゃん連れてここでお茶デートなんてことあれへんやろ?」 「マスターは?」 「奥でブレンドの研究中や」 恵里佳の言葉を聞いて、圭介の顔には「またか」という表情が浮かぶ。研究熱心なのはいいが、蘊蓄のない一般客にはどれも同じように思える商品を開発しては、メニューを分厚くするのはやめてほしいものだと、従業員としては思うのだ。それでも、その研究成果を楽しみに来店する酔狂な常連客も多いだけに、その思いは複雑でもある。 「マスター」 「おう、高遠くん。今日はオフだろ、どうしたんだい?」 コーヒー豆の袋とにらめっこを続けていたマスターは圭介の声で振り返った。目の前には配合割合を示したメモがびっしりと並んでいる。 「学祭で使う食材の価格調査をしたいんですけど、卸の店ご存じないですか?」 「なにを作るんだい?」 「たこ焼きです」 「たこ焼きかあ…」 マスターはそう言いながら、棚から1冊のクリアファイルを抜き取り、パラパラとめくっていく。 「ここなんかどうだい? 業務用のスーパーなんだが、価格もそれなりだし、電車で行ける」 マスターはそう言って、1軒のスーパーを示した。最寄り駅は阪神電車の岩屋。明石まで行くことを考えれば、抜群に近い。 「ちょっとメモらしてください」 圭介はそう断ってから、店の余り紙にざーっと内容を写していく。 「ありがとうございます。今から行ってみますわ」 「もちろん、タダでなんて言わないよね?」 マスターの目の奥がきらりと光る。圭介にはどんよりとした表情が広がった。 「時給1時間分くらいなら自主的に返納しますけど」 「いやいやいや」 マスターはそう言って圭介の肩をバンバン叩く。 「真由子くんとのデートをセッティングしてくれたまえ」 「は?」 「もちろん、彼女とふたりでなんて言わないよ。君たちも女の子を連れてくればいい。わたしがスポンサーになろうじゃないか」 そう言うマスターを圭介は思わずじっと見つめてしまう。 …どうやらマスターは本気で言っているらしい。思わずマスターを頼ったことを後悔しそうだ。 「わかりましたよ。学祭が終わるまではバタバタしてますんで、10月か11月に必ずセッティングしますよ」 「うむ。頼んだよ、高遠くん」 「はいはい」 至極まじめな表情のマスターに、圭介は投げやりな返事を返した。 そんなやりとりのあと、ようやく圭介はマスターから解放される。 「行くぞ、美幸」 「わかった?」 「ああ。じゃあな、恵里佳」 「ほんじゃな〜」 笑顔の恵里佳に見送られ、ふたりはPage55をあとにした。階段を下りると、目の前には阪神電鉄の深江駅がある。 「岩屋らしいわ。行くやろ?」 「うん。そう思てお金も持ってきてる」 「なら、さっさとすましてまお」 圭介はそう言って、ややどんよりとしたまま改札への階段を下りていく。 深江から岩屋までは各駅停車で20分ほど。途中駅で特急の通過待ちをする分、移動距離の割に時間がかかる。半地下になった駅から出ると、そこは普段なら彼らと縁のない土地だ。 「どのへんなん?」 「こっちやな」 方向感覚の疎い美幸を先導して、圭介は歩く。 自分の方向音痴を理解しているだけに、圭介を誘ってよかったと美幸は思っていた。 「ここやな」 5分ほど歩いた所に、地元スーパーの業務仕様の店があった。「一般客歓迎」の文字が卸し専門でないことを物語っている。 「とりあえず入ってみるか」 圭介の言葉にうなずいてから、美幸は中へ入っていく。 店の中は業務用と謳っているだけに、大きなサイズの調味料や小麦粉、食用油などが並べられている。その店内の1/3を割いて、ショーケースの中に冷凍食品が所狭しと並べられている。 「タコなんかは、冷凍のブツ切り使えば安いやろ?」 「粉も小麦粉より味付け済のたこ焼き粉使った方がええかなあ」 「ソース以外に刷毛と缶も用意しておいた方がええな」 「爪楊枝と舟! それに青のりと鰹節!」 そんな会話を続けながら、店内をあっちへウロウロこっちへウロウロする。 1時間ほどで、買うものとその値段は大まかに調べられた。あとは、レンタル店からたこ焼き用機材のレンタル料を調べるだけだ。 「ありがとね、圭介。助かった」 岩屋駅で各駅停車を待ちながら、美幸はそう笑う。 「手伝う約束やったからな」 圭介は相変わらずの仏頂面だが、美幸はその圭介の仏頂面にも笑顔を返してくれる。その笑顔は少しまぶしく見えた。 その気持ちの微妙な変化に、圭介自身は気づけない。 「1回じゃ覚えられへんから、また買い出しもつきおうてね」 「へいへい」 美幸にそう返事をそう返すと、梅田行きの電車が入ってきた。 少しの戸惑いを覚えながら、圭介は車内に足を入れる。 |