動き出したココロ ウゴキ ダシタ ココロ

 二学期が始まった。
 菟原高校の2学期は、他校での文化祭と体育祭にあたる記念祭の準備から幕を開ける。9月の末に5日連続で記念祭があるため、学校が再開された早々に準備にかからねば間に合わないのだ。決めることは多い。初日の体育祭でのクラス看板、コスチューム作り、4日目、5日目の文化祭でのクラスの出し物。その人員分配。
 二学期2日目のHRで、いきなりその話題になった。
「かったるいなあ…」
 こういうことにやる気のない圭介は、早速だれた気分を放出している。初日の体育祭と知事杯が重なっている北斗は、あまり関係できない分苦笑いだ。
 こういう雰囲気だけに、意見はほとんど出ない。看板はクラスの中にいる美術部の生徒に任せてしまえだとか出し物はたこ焼きでエエやんかと言う投げやりな言葉がちらほらと出る程度だ。
 圭介が潤一郎や晶が溜まっている辺に目をやると、晶も潤一郎もやる気のなさそうな視線を前に投げている。陽は何か考えているようだが、元々の消極性は彼女に発言の機会を与えない。
「たこ焼き賛成!」
 その時、後ろの方から甲高い声が聞こえた。振り向くと美幸だ。
「誰でも作れるし、材料も揃えやすいし、いいと思う!」
 そうキッパリと言ってのける。
「柴田が言うんなら、たこ焼き屋でエエかな」
「まあ、たこ焼き屋やったらエエか」
 そんな声が一気に大勢を占めていく。まさに鶴の一声だ。
「たこ焼きねえ…」
「言い出しっぺなんで、あたしが陣頭指揮します!」
 圭介がそう冷めた視線を美幸に投げていると、美幸は勇ましくそう宣言する。そして、その言葉が終わると、圭介の方を向いてニッと笑う。
「ってことなんで、計画の方は任せてください」
「じゃあ、ウチのクラスの出し物はたこ焼き屋ってことで、決定します」
 委員長の宣言で、この話題はそれで終わった。
 他にも決めることがあるだけに、議題は次々進んでいく。

 HRが終わると、美幸はニコニコしながら帰り支度を始める圭介の元へやってきた。HR中の笑顔の意味がわかるだけに、圭介は憮然とした表情をその美幸に向ける。
「なんや、美幸」
「なんも分担当たらんかったねえ」
 憮然とした圭介の表情にひるむことなく、美幸はそう言って笑う。
 こういう時の美幸は要注意だとわかるだけに、圭介の表情は更に厳しくなった。
「それで?」
「圭介暇やろうから、材料の価格調査とか買い出しとか、手伝ってくれると嬉しいんやけど。サマーカーニバルの花火ん時にリンゴ飴奢ってくれへんかったし」
「まだ言うとんか?」
「そう怖い顔せんとってよ。記念祭までは野球部の方は後輩に任せるし、あたしメインでやるから、手伝ってくれるだけでエエし」
 そう言いながらも、美幸はニコニコ笑っている。その裏にどんな魂胆があるのかは、圭介にはよく見えた。明らかに牽制しておく必要がある。
「それ以外は手伝わへんからな」
「あとは分担が回ってきた分に精出しなよ。んじゃ、そん時には連絡するから」
 それだけ言い残すと、美幸はひらひらと手を振って部活のために教室を出て行く。それを見送ると、圭介はため息をついた。
「柴田も相変わらずやな」
 帰り支度のすんだ北斗は苦笑いだ。
「ま、高遠が暇なのは的確な判断やけど」
「まあな」
 そう答える高広は、ようやく憮然とした面持ちを引っ込め、仕方ないというお人好しの顔に戻っていた。幼なじみの美幸は、このお人好しをアテにしての行動だ。
「高遠、こっちもエエか?」
 その圭介に声を掛けたのは潤一郎だ。気味悪いくらいニコニコと笑っている。その笑顔に魂胆有りと明らかにわかるだけに、圭介の表情はまた憮然としたものに変わった。
「なんや、武藤?」
「後夜祭バンドのボーカルも頼むわ」
「は?」
 潤一郎の言葉に、圭介は素っ頓狂な声を上げる。寝耳に水とはこのことだろう。
 記念祭の最終日には、ラストに後夜祭というものが用意されている。その後夜祭には生徒選出の厳選された学内バンド3組の演奏と、そのあと全校生徒によるフォークダンスもあるのだ。
「後夜祭バンドのボーカルって、武藤、今年も出る気やったんか?」
「去年は予選敗退やったからなあ。今年はいろいろと入れ替えて出てみようかと思てな」
 怪訝な顔の圭介に、潤一郎はそう笑う。ライブハウス経験者の多いギター研究部の生徒も出場可とあって、レベルはそこそこ高いのだ。
「そう言う訳で頼むわ。ボーカル、高遠しかおらんねん」
 笑顔の潤一郎に、圭介は思わずため息をつく。どう断ったところで、潤一郎がしつこく勧誘してくるのは目に見えているだけに、断る気も失せた。
「わかった。そっちも手伝うたるわ。どの辺行くねん」
「助かるわ。予選は賑やかに行こう思てるから、ピスケスとかクロスワード辺りをな。ステージまで行ったら、ラッツアンドスターやサザンやろう」
 まだ不機嫌な圭介に、潤一郎はそう言って笑う。この選曲は、どちらかと言えば圭介に合わせたものだ。
「他のメンバーは?」
「まだ俺と高遠だけや。これから集めるさかいに」
「その辺は任すぞ」
「任せ任せ。特上のメンバー集めたるから」
 笑顔で自信たっぷりの潤一郎に、圭介はもう一度ため息をついた。バイトに屋台の手伝い、後夜祭バンドとやることが一気に増えただけに、若干気が重くはある。
「高遠、後夜祭バンドやるんか?」
 声に振り向くと、同じように帰り支度をすませた晶と陽だった。ふたりとも、圭介とバンドのボーカルという内容がうまく重ならずに、少し驚いた顔をしている。
「そうや。高遠ああ見えて歌はけっこう上手いんや。楽譜読んだりはできんみたいやけど、耳で覚えてのコピーバンドならボーカルに最適やからな」
 潤一郎はそう言って軽く笑う。
「まあ、それくらいしかできへんからな」
 高広の機嫌はまだ良くならないらしく、唇を曲げたままそう答える。
「へえ…。音楽の授業でも目立ったことせんのになあ」
 晶はまだ意外そうな顔で高広を見た。普段は何事にも興味がないように見える高広の、新たな一面だ。実際、どういうところなのか興味はあるがそれは本番でのお楽しみだろう。演劇とバンドの違いはあれ、同じく舞台に立つものとして少し嬉しい。
「ま、がんばりや。今回だけは武藤も応援したるわ」
「そりゃあ、おおきに。高橋のために、俺の超絶ギターテクを惜しみなく披露するさかい」
「張り切りすぎてボーカル消すなよ」
 北斗がそう締めくくると、ようやく場に和やかな笑い声が起こった。

 陽は家に帰ると、久しぶりにキーボードの前に腰を降ろした。
 ここへ越してきてからは、もっぱら兄からもらったギターが音楽のお供だっただけに、久しぶりに鍵盤へ落とす指の感触にも違和感を覚える。だが、それも1曲も弾けば落ち着いていく。
(高遠くんがバンドかあ…)
 そう思いながら、陽は部屋の天井を見上げた。
 あまりにも意外すぎた。
 普段音楽を聴いている姿さえ想像できないくらい、高広は何事にも無関心に見えたのだ。その中にたまに見える優しさや子供っぽさが、陽の気持ちを惹いたのだが。
(ピスケスやクロスワードだったら、わたしにも弾けるかな…?)
 頭の中で、晶が貸してくれたカセットテープの音源を再生する。男女ふたり組のピスケスの歌う曲の中でも、特に大好きな「あなたに会えて」という曲だ。女性ボーカルが奏でるバラード。
 陽の指は自然に動いた。
 自然に口が開く。
 
   新しいわたしをみつけられた その笑顔を追うことで
    胸の奥でちいさくつぶやく あなたに会えてよかった

 失恋の歌だが、陽の心にはよく響いた。
 圭介に、晶に出会わなければ、今の自分がないことだけはよくわかる。
 だからこそ、このふたりに感謝する気持ちは強い。
(なにか、少しでも返せるものがあったらなあ…)
 晶とは日々の持ちつ持たれつの関係を自覚するだけに、困ったときはお互い様と割り切れるのだが、圭介との関係はまだまだ遠い。
(もう少し、強くならなきゃ…)
 そう思っていた陽だが、拍手の音で現実に引き戻された。
 音の方向を振り返ると、双子の弟の大洋だ。
「大洋…」
「いやいや、さすがさすが。キーボードなんて触ってんの久しぶりやん」
「茶化さないでよ」
「いやあ、原稿しとったらキーボードの音が聞こえてきたから、めずらしいな思て」
 そう言って、大洋はキーボードに近づいてくる。音大生の兄や陽と違って、大洋は全く楽器が弾けない。だが、原稿中に高唱放歌しているのを聞く限りでは、はやりこの大洋も葛城家の人間なのだ。
「気が散る?」
「うんにゃ、全然。陽の歌がエラく感情入っとったから、誰かに振られでもしたんかと思ただけや」
 そう言いながら、大洋はじっと陽の顔を見た。陽は思わず困惑したが、その様子を見て大洋はパッと笑った。
「なんや、全然そんなことないやん。ええ顔色しとおやんか」
「だから、そんなこと一言も言ってないでしょ?」
 思わずムキになる陽に、大洋はいよいよいたずらっ子の顔になって笑う。
「ま、元気なんやったらエエわ。いくらおとなしい言うても、元気ないんは暗あてかなわんからな」
「さっさと原稿の続きしなさいよ! 締め切り近いんでしょ!?」
 早くこの双子の弟との会話を終わらせたくて、陽は思わず声を上げる。柔軟性で分が悪いだけに、からかわれ出すと陽は勝てないのだ。
「あ、俺の原稿もう出した。今は出展用の原稿。別に急ぐことないからな」
 大洋はそう言って笑う。陽の口がへの字に曲がった。
「思うところがあるんやったら、行動しいや。慎重なんは結構やけど、臆病になったら前に進まれへんで」
 大洋はそう言うと、ひらひらと手を振って陽の部屋を出ていく。
 図星を指された陽は、憮然と鍵盤に向かい直した。
「そんなこと、わかってるよ…」
 陽は呟いたあと、また鍵盤に指を落とした。
 大洋の言葉が少しずつほぐれていく。
 感謝の気持ちを言葉以外の何かで返したい。
 そのチャンスはまもなく訪れる。


                                         

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