花火は滞りなく進む。会場に流れる協賛企業のアナウンスや連続花火の珍妙な名称に苦笑を漏らしつつ、時間は過ぎていく。やがて、連続花火の間隔にある単発花火の間は、随分と雰囲気が弛緩するようになってきていた。 「圭介、圭介」 「ん?」 そんな弛緩した空気の中、圭介は不意に呼ばれ、美幸を振り返る。 「圭介はさ、もう進路決めた?」 「進路? 進学か就職かってことか?」 圭介がそう聞き返すと、美幸はこっくり頷く。 「まだ決めてへんわ」 「進学か就職かも?」 「そやな」 圭介はそう言うとまた空を見上げる。腹の底に響く大きな音を残して、五尺玉が開いて消えた。 「まだ1年以上あるやんけ。まだ先でええんとちゃうか?」 「う〜ん、そりゃあそうやねんけど…。あたしんとこはいろいろと事情があってさあ…。みんなどうすんかなあ…思てさ」 美幸はそう言いながら微苦笑を漏らす。 「事情?」 「ほら、あたしんちって鉄工所やってるやんか。最近忙しいんは忙しいみたいやねんけど、お金が上手いこと回ってへんと言うか、資金繰りが厳しいって言うか」 美幸はそう言うと情けなさそうに笑う。一生懸命働いている両親に悪い気がするだけに、そういう表情が自然と出てしまうのだ。 「なるほどな。進学を頼みにくい訳なんや」 「そやねん! あたし、成績もええことないし、はっきり言って現役で入れるとこなんかあるかどうかもわからへんし…」 状況を理解してくれた圭介に、美幸は思わずそうまくし立ててしまう。そうして、口をつぐんだ。 「美幸は、なんかなりたいモン決まっとんか?」 「なりたいモン…?」 「ほら、なんかあるやろ? バリバリのキャリアOLになりたいとか、野球好きやねんからスポーツ新聞の記者とかな」 圭介に言われて、美幸はう〜んと考え込む。よく考えたら、そういうことは今まであまり考えたことがなかった。両親の鉄工所、弱小の野球部。その二つの行く末を案じながらバタバタと動き回っている内に、いつの間にかもうそういう時期に来てしまっていたのだ。不意になにになりたいかという質問をされても、正直なところなにも思いつかなかった。 「何もあらへんのか」 「うん…」 美幸が俯いた瞬間、次の連続花火が始まった。色とりどりの花火が空を焦がしていく。その光に引かれたように顔を上げた美幸の頭に、圭介は軽く右手を乗せた。 「まだ焦らんでもええやん。せめて今年中になんか考えつきゃええやないか」 圭介の言葉に、美幸はゆっくりと目を伏せた。この幼なじみの、こののんきな答えが今の自分には必要だったのだと思う。準天然だのぼーっとしてるだの言われていても、ずっと全力で走ってきたのだ。圭介にしてみれば適当に言っただけの言葉かもしれないが、美幸の心にはすっと染みこんでいった。 「進学だけが人生ちゃうし、就職だけが人生ちゃう。焦って決めてもええことあらへん。遠回りするんも悪ないんちゃか?」 圭介の言葉が次々と染みこんでいく。潤みそうになる瞳を必死で堪えながら、美幸は小さく頷いた。 「ありがとう、圭介」 そういって笑いかけた美幸の瞳に、もう涙はなかった。 「どういたしまして」 圭介もそう笑い返すと、美幸の頭から手を下ろした。そうして、また空を見上げる。 (進路かあ…。俺も何も考えてへんかったなあ…) 自嘲気味の笑みをかみ殺しながら、圭介は散ってゆく花火を見ていた。 止めに大きな連続花火を打ち上げて、1時間に渡った神戸海上花火大会も幕を下ろした。会場であるメリケンパークには街灯の明かりが戻り始め、感嘆の拍手を送っていた人たちはそれぞれ家路につき始めている。 「美幸、はぐれんなよ」 駅へ向かう人波を見ながら、圭介はそう振り返る。 「圭介のポロの裾掴んどくから」 美幸はそう屈託なく笑う。その笑顔に、圭介はたまらず照れた。 「破くなよ」 「誰が!」 照れ隠しの言葉に、美幸は脊髄反射でそう返した。 人の波の大半はJRと阪神の駅がある元町駅へ向かっている。南北の何本かの小筋に人が集中していることは予想に難くない。圭介と美幸もその内の阪神元町駅へ出る最短ルートに足を向けていた。メリケンパークを出るまでごった返していた人垣も、メリケンパークの北側を横断している国道2号線を越えた辺りから多いとは言え随分とばらけてきている。 「美幸、ちょっと電話するわ」 コンビニの横に公衆電話を見つけた圭介は、そう言って立ち止まり、受話器を上げた。 「電話? 真由子ちゃん?」 美幸もその傍らに立ち止まり、電話をのぞき込む。 「いや、高橋と葛城にな」 言うが早いか、圭介はもう晶の番号をまわしていた。 『はい、高橋です』 晶の家の電話は、ほとんど呼び出し音さえ鳴らない状態で繋がった。 「あ、俺。高遠」 『あ、高遠か』 その高速接続が嘘のように、晶の声色は素っ気ない。 「エライ出たん早かったな。誰かと電話しとったんか?」 『ま、まあな。明日の件か?』 少しうわずった晶の声に、圭介は全く気づけない。彼女が、電話の前で待っていたことも予想の範疇を超えていた。 「ああ、そうや。明日17時に阪急バスの若葉町のバス停で待ち合わせになったから」 『わかった。17時に若葉町のバス停な。遅れずに行くわ』 「ああ。ほんじゃあ、おやすみ」 晶との電話を切ると、今度は陽の家に電話をかける。美幸は退屈そうにはしているが、それでも何も聞かずに圭介の電話が終わるのを待っていた。 『もしもし、葛城です』 「あ、俺。高遠」 『高遠くん…。明日の件?』 陽も晶と同じように電話の前で待っていた。その少しいつもより明るい声に、やはり圭介は気づけない。 「ああ。阪急バスの若葉町のバス停で待ち合わせになったから。17時な」 『うん。わかった…。浴衣…だよね?』 「武藤があない言うてるからなあ…。まあ、任すけど」 『わかった…。じゃあ、また明日ね』 「ああ。おやすみ」 そうして、陽との電話も切れた。 「サマーカーニバルの花火?」 電話が終わるなり、美幸はそう聞いてくる。 「ああ。夏休み前からみんなで行こか言うててん」 「高橋ちゃんと、葛城ちゃんの他は?」 「あとウチの真由子とな。男は俺と武藤に佐竹」 「あ、いつもの面子なんや」 美幸はそう言うと破顔する。仲がいいなあ…と少しだけ晶と陽が築いた関係が羨ましくなる。美幸には、野球部の仲間以外はこれといって親しい男子生徒がいないのだ。その野球部の仲間にしても、美幸は私生活での接触を避けていた。 「あたしも明日は美沙と行こうか言うてたしなあ…。会場でバッタリ会うたらよろしくな」 「俺らも俺らやけど、美幸らも女ふたりかよ。男おらんのか?」 「おったら、今日かて圭介誘ってへんやん。美沙かってもてるけど、彼はおれへんもん」 圭介の言葉に、美幸はそう唇を尖らせる。 「まあ、会うたらな」 「リンゴ飴奢って。あたしと美沙に」 「絶対に会わん」 「え〜、ええやんか。バイトしてんねんし」 「たかんな!」 そんな馬鹿話を続けながら、やがてふたりは元町駅にたどり着く。 まるでラッシュのようにごった返す電車に押し込まれると、シートとドアの間の空間に美幸を押し込め、圭介は仕方なく美幸を庇うような姿勢を取った。 美幸は思わず圭介の素っ気ない横顔を見上げる。とくんと心が動く。 (持つべきものは幼なじみやなあ…) そんな言葉でごまかしてみたりする。 触れそうで触れないように庇ってくれる圭介。 子供の頃の横顔と、面影だけが僅かに残る今の横顔。 あたしも、圭介も、大人になろうとしてるんやなあ…という思い。 「ねえ、圭介。こうやってたら、あたしたちって恋人同士に見えるかな?」 圭介の答えが聞いてみたくなって、美幸はそう小声で聞く。 「まあ、見えるかもな。付き合いだしてから間もないって感じのな」 圭介は少しだけ美幸を見下ろすとそう言ってまた窓の外に目をやる。少し、照れているように見えた。 「それか、ただの痴漢やな、俺」 圭介の言葉に、思わず美幸は吹き出してしまう。 「それええなあ。ここであたし大声上げてみよか?」 「勝手にせえや。次の御影でつまみ出されるんがオチやぞ」 呆れたような圭介の声に、美幸は笑顔の裏で感謝の言葉を思っていた。 心が少し軽くなった。 今日圭介といられて本当に良かった。 ありがとね、圭介…。 その無意識の優しさに、今はただ心を委ねていたかった。 To be continued… 2006.01.03 Ver.1.00 Up 2007.10.06 Ver.2.00 Up |