恋する気持ち コイ スル キモチ 待つ時間というのは、常に普段より長く感じるものだ。 陽はそれこそ、キリンのように首を長くして、明日を待っているはずだ。 「おーす、陽」 それを真横で見ていた晶にも、痛いくらいよくわかる。 「おはよう、晶ちゃん!」 笑顔で玄関から出てくる陽は、それこそ明るくなっていた。 (恋が女を綺麗にするって言うのはホンマやな) ここ2週間、晶は陽の笑顔を見るたびにそう思ってきた。 以前より頬に赤みが差し、やもすれば虚弱なお嬢様に見えた陽が、美しく羽化しようとしているのだ。晶にしてみれば、苦笑するしかないような状況だ。まだ不安を口に出すことは多いものの、以前に比べると、陽は格段に強くなったと想う。 (あたしは、弱なったかなあ…) 陽といると、晶はそう思うことが多くなった。その認識から逃げるために、この2週間、必死になって舞台の練習に打ち込んできた。怪我の功名といえるかもしれないが、そのおかげで今回の舞台に関しては何の不安もなくなった。だからこそ、学校でいつもの自分を演じられるのだとも思う。 「高遠とは、もう色々と決めたんか?」 そんな言葉も、ようやくすらすらと出るようになった。その言葉に、陽は首を振る。 「今晩、電話するの。高遠くん、バイトとか忙しいみたいだし」 そう言って笑う陽に、去年の面影はない。 (去年の今頃は、悩んでばっかりやったのになあ…) 陽の変化には、本当に驚かされることばかりだ。本やドラマで見た女の子の中に、こういう変化をしていった子がいるなあと、愚にもつかないことを思ったりもする。 (あたしも、このままがんばろう…。これも、役者の修業やと思えば、きっと耐えられる…) 陽に笑顔を返しながら、晶はそう思っていた。 「明日は、あたし休むから、色々とよろしくな」 「うん。がんばってね、晶ちゃん」 陽のまっすぐな笑顔に、晶は笑顔を作って大きく頷いた。 「おはよう、高遠くん、佐竹くん」 「よお、葛城」 「おはよ、葛城」 教室に入ってからの圭介たちへの挨拶も、今は陽の方が晶より先に声をかけるようになった。その笑顔でさえ、以前の一歩引いていたものとは違って見える。 「これ、焼いてきたの。よかったら食べて」 陽は言いながら、鞄からクッキーの小袋を取り出して、圭介と北斗の前に置いた。クッキーは料理が苦手な陽にとって、唯一と言ってもいい「まともに作れるお菓子」だった。 「これは?」 きょとんとした顔で聞いてくる圭介に、陽は照れたように笑う。 「このあいだのお礼…。言葉だけじゃ、なにか足りないような気がしたから…」 「そっか。じゃあ、ありがたくいただくわ」 そう言って笑顔を返す圭介の横で、北斗は複雑な顔をしていた。 「どうしたの、佐竹くん?」 今度は、陽がきょとんとしながら北斗にそう聞く。 「いや…。俺、甘いのダメなんやわ」 そう言って北斗は苦笑いした。 「あっ、そうなの!? ごめん…」 途端に、陽はすまなさそうな顔になる。 「いや、でもホンマに気持ちだけで充分嬉しいし…」 北斗もすまなさそうに弱く笑ってそう言う。 「ほんじゃあ、俺が貰ってええか?」 そこへ、ひょいっと潤一郎が顔を出した。 「うん。…ごめんね、佐竹くん。ちゃんと聞いておけばよかったね」 しょぼんとする陽に、北斗は苦笑いを返す。 「いや、俺の方こそごめんな。せっかく作ってきてくれたのに」 「佐竹の分は、責任持って俺が食うわ」 潤一郎の笑顔に、陽は微苦笑で頷いた。 「おっす、高遠、佐竹、武藤」 そこまでを陽の後ろで見守っていて、ようやく晶はそう三人に声をかけた。声をかけた最後に、軽く潤一郎の行動を睨むのを忘れない。 「おっす、高橋」 「おはよ、高橋」 「よお!」 三人からそれぞれ声が返ってくる。 「もう、高遠の顔の傷、全然目立たんようになったな」 「おかげさんでな。しばらくカサブタが痒うてしゃあなかったからな」 晶の言葉に、圭介はそう笑顔を返してくる。 「でも、ホンマよかったわ。これであたしもホッとしたわ」 苦笑いを返しながら、言葉の通り本当に安心している自分を意識する。それでも、顔にはなにも出していない。 「陽のお菓子、美味しいからしっかり味おうたってな」 晶はそう言うと、圭介たちの席の前を離れた。その後をついて、陽も自分の席に向かう。 「おっ、これホンマに旨いわ」 早速クッキーを口に放り込んだ潤一郎がそう言う。 「佐竹は辛いなあ。クッキーとかチョコレートかケーキとか、女の子の定番手作りお菓子が全部アカンからなあ」 言いながら、圭介も苦笑いを返す。 「まあ、しゃあないわ…。そう言う舌やから」 北斗はそう言って、情けなく笑うしかなかった。 「じゃあ、日誌返してから帰るから、晶ちゃんは先に帰ってて」 授業が終わると、日直だった陽はそう言って晶に手を振る。掃除当番の掃除具合を確かめて報告するのも日直の仕事だったから、日直を待つとかなりの時間を食った。 「ああ。悪いけど、先帰らしてもらうわ」 晶はそう言って、鞄を肩にかけた。 「明日、がんばってね」 「ああ。陽もな」 晶の言葉に赤くなる陽を残して、晶は教室を出た。 「ふう…」 上履きからスニーカーに履き替え、校舎を出ると、晶は大きくため息をついた。 (やっぱ、結構疲れるなあ…) 演じることは嫌いではないが、気安い関係だったはずの陽にまで自分を演じて見せなければならないことは、やはり堪えた。こうして一人で帰ることに、少しだけ安堵感を覚えてしまうのは、陽に悪い気もするが正直な気持ちだった。 そんな晶に、ひとつの声が追いついてきた。 「おーい、高橋!」 「武藤!?」 ニッと笑いながら自分の後ろを歩いていた潤一郎に、晶は驚いて目をむく。 「なんやねん?」 思わず軽く睨みながら、晶は横に並びかけてくる潤一郎にそう聞いた。 「葛城はどうしたんや? いっつも一緒に帰っとおのに」 「陽は日直や。なに見とったんや、あんたは」 潤一郎の間の抜けた質問に、晶はそう口を尖らす。 「ああ、そうか。そういやそうやったな」 「で、なんなんや?」 空とぼける潤一郎に、たたみかけるように晶はそう言葉を継ぐ。 「せっかく帰りが一緒になったんや。暇やったら茶でもせえへんか?」 型どおりに、潤一郎はそう言って晶に声をかける。 「そー言うのは、あんたを気に入っとお子にしいや」 「あ、やっぱりそう来るか。奢ったろうと思たんやけどな」 潤一郎にとって予想通りの答えだったらしく、平然とした顔でそう言ってのけた。 「悪いけどな、あたし明日舞台で忙しいんやわ。あんまり構わんとってくれるか」 そう言って晶は歩みを早めようとする。 「そっか。ほんなら、少しマジな話しょうか」 ぐっと低くなった潤一郎の声に、晶は驚いたように振り返った。 「…なんや、マジな話って」 警戒したような表情で、晶は歩みを止めた。 「そう警戒するほどのことちゃうって」 潤一郎はそう言って、また晶の横に並んで歩き出した。晶にも、軽く肩を叩いて歩くように促す。 「単刀直入に言うわ」 そう言う潤一郎は、晶の方を見ていなかった。見上げる表情があまりにもいつもの潤一郎とかけ離れていて、晶は少し驚いた。 「高橋。おまえ、高遠に惚れたやろ」 「なっ…!」 潤一郎の口から出た言葉は、晶の胸を直撃した。 「なっ、なんでそんなこと…! そんなことあるか!」 晶は動揺を抑えきれず、潤一郎にそう喚いた。 「隠さんでもええって」 そう言って笑う潤一郎の目は笑っていなかった。 「別に、隠してなんかあらへんわ!」 晶はまた声を上げる。 「その態度が『そうや』って言うてるようなもんやぞ。ほんのり赤なって、ええ表情やないか」 潤一郎の言葉が、次々と晶の胸に刺さっていく。 (なんで、こいつがそんなこと気づいてんねん!?) 晶は混迷の度を深めた。 「このまま、ずっと葛城の前で隠し通す気いか?」 立ち止まってしまった晶を振り返りながら、潤一郎はそう言う。 「あたしを、脅してモノにしようって言う気か?」 ギッと潤一郎を睨みつけながら、晶はそう言う。 「アホ言え。そこまで悪人ちゃうわ」 潤一郎はそう言って晶の言葉を一笑に付す。 「俺は、おまえの味方のつもりや。だから、忠告したろう思て葛城がおれへん時に声かけたんやないか」 「忠告…?」 晶は潤一郎の口から出た予想外の言葉に、ようやく少し表情を緩めた。 「ああ。はっきり言うたるわ。高遠だけはやめとけ。それが高橋と葛城のためや」 そう言う潤一郎の目は真剣だった。その言葉が、晶の胸をえぐる。晶はぐっと奥歯を噛み、拳を握りしめた。 「おまえ、かなり負けず嫌いやろ? それに、人に簡単に気持ちを開かんタイプや。このままやったら、おまえ、一生モンの友達と喧嘩別れになんぞ」 そこまで言われて、晶はぐっと顔を上げた。その両目から、大粒の涙がこぼれ落ちていた。 「あんたにあたしのなにがわかんねん! わかった風な口きかんといてや!」 晶はそう言うと、真っ赤な目で潤一郎を睨みつける。 「わかるわ。気持ちの奥まではっきりとな」 潤一郎は、はっきりとそう言いきった。いつのも、戯たような雰囲気は微塵もない。 「葛城のことは今でも応援したいと思っとお。でも、正直羨ましいとも思っとおやろ? それが一番危ないんや。そのままやと、いつか悪い方に爆発すんぞ」 潤一郎の言葉に、晶の歯がギリギリ鳴る。 (なんで、こいつなんかに、ここまで見透かされなあかんねん!) 晶は悔しさで一杯になった。 一番の友達であるはずの陽でさえ、自分のことをここまで理解はしてくれていないだろう。なのに、一番苦手で、嫌いなタイプであるはずの潤一郎が、自分のことを奥の奥まで見抜いてしまったのだ。 「心配すんな。葛城にも、高遠にも黙っといたる。決めるんは高橋やからな」 潤一郎はそう言うと、晶に背を向けて歩き出した。 「ほなな、同類。明日の舞台、がんばれや」 潤一郎は最後にそう言うと、もう振り返らずに歩き去っていった。 (同類? あたしと武藤が? そんな訳あるか!) 晶は潤一郎の言葉に心の中でそう言い返すと、俯いたまま一気に駆けだして潤一郎を抜き去っていった。 (お〜お〜、青春やねえ…) 潤一郎は走り去る晶の背中を見ながら、そう思っていた。 「ま、おまえのことは、高遠よりも葛城よりも、俺の方がよおわかるわ。俺とおまえは似過ぎとお…」 潤一郎はそう呟くと、苦笑いした。 (ま、いつかそのことに気づかしたるわ…) 潤一郎はそう思うと、いつもの軟らかい表情に戻っていた。 「今日の高橋、気合い入っとおなあ」 「そうやね。なんか鬼気迫るモンがあるくらい」 練習用に借りた公民館の会議室で、劇団のメンバーが練習中の晶を見てそう囁いていた。とうの晶は、通し練習の真っ最中で、自分にあてがわれた少年の役を見事に演じている。 「いい感じだな、高橋」 「団長」 その2人の後ろから、劇団長が声をかける。 「このままの状態を保てるなら、次は高橋を主役に使ってみようか」 団長は鷹揚に笑いながらそう呟く。 「悔しいけど、確かにキレありますからね、高橋は」 苦笑いをしながら、団員の一人がそう言う。 「そうだな。このまま成長すれば、こんな小さな劇団で埋もれてるような器じゃなくなるだろうな」 同じように苦笑いしながら、団長は自分の言葉に頷いていた。 晶は、そんな周囲の雑音にも気づかず、昼間の武藤の言葉を忘れようと必死に「役」を演じていた。違う人物になってしまえば、いつもの自分を忘れられることを、晶はよく知っていた。 「よーし、今日はここまで! 明日はいよいよ本番だ! 気合い入れていこう!」 「お疲れさまでしたーっ!」 場がはけると、後片づけをして銘々更衣室で普段着に着替え始める。 「晶ちゃん、いい演技やったよ」 「明日もあの感じでいけば、全然オッケーやよ」 先輩の団員がそう晶に声をかけてくる。 「ありがとうございます」 直前まで激しく動いていたおかげで、晶は額に汗を流しながら、笑顔でそう答えた。 「団長も褒めとったで」 「ホンマですか!?」 その先輩の一言に、晶は目を輝かせる。 今の晶にとって、その言葉が一番嬉しいものだった。 「ホンマホンマ。このまま成長したら、次は主役やろうかって」 その先輩は、いたずらっぽく笑いながら、そう言う。 「ようし! あたし、がんばりますよ!」 晶の特上の笑顔に、周囲の先輩たちは苦笑いを返していた。 |