「お、ヒーローのご登場や」 教室に入るなり、圭介はニヤニヤ笑いながらそう言う潤一郎と苦笑いの北斗に迎えられた。 「誰がヒーローやねん」 圭介は憮然とそう言うと、自分の席に腰を下ろす。 「高橋と葛城が危なかったとこ助けたったんやろ? 立派なヒーローやんけ」 潤一郎はそう言って意味ありげに笑う。 「たまたま通りかかったからな。佐竹は部活のこともあるし、俺しかなんとかできんやろうが」 「ま、そのタイミングであそこを通りかかったんは、俺のおかげやな。俺を神と崇めるように」 圭介の言葉に、潤一郎は自分を親指で指さして笑う。 「誰がや」 潤一郎の言葉に、ようやく圭介もケケケっと笑った。 「それはそうと、大丈夫なんか、怪我は?」 「ああ、こんなん怪我のうちに入らんわ。思たより力無かったからな、あの2人」 少し心配そうな北斗に、圭介はガーゼを貼ったテープを掻いた。 「お、高橋に葛城、おはよっす!」 目敏い潤一郎の声に、圭介と北斗も入口を振り返った。 「おはよう、武藤くん、高遠くん、佐竹くん」 いつも通りの笑顔で、陽がそう挨拶をする。 「お、おっす、高遠、佐竹、武藤」 対して晶は、少し驚いたような表情で三人にそう挨拶をした。 (高橋のヤツ、少し様子がおかしいな…) いつものおどけた表情で挨拶を返す裏で、潤一郎は晶の微かな変化に気づいていた。 「高遠くん、昨日は危なかったとこ、ありがとう…。佐竹くんも、家まで運んでもらって…、本当にありがとう」 陽はそう言ってゆっくりと頭を下げる。その横で晶は少しだけ陽のとった態度に驚いていた。 「別に、大したことしてしてへんし」 「そうそう。当然のことやんか」 圭介と北斗は、面と向かって礼を言われるとくすぐったいらしく、少し照れた表情でそう言い合った。 「高遠くん、怪我、大丈夫?」 顔を上げた陽は心配そうな表情になってそう聞く。 「ああ、これくらい平気や。ホンマ、別に大したことしてへんし」 「うん…。ホントにありがとう」 ほんのりと頬を染め、陽は最上級の笑顔で圭介の言葉に頷いた。 「た、高遠、昨日は、ありがとな」 そんな陽に対して、晶の態度はどことなくぎこちなかった。 「高橋、大丈夫か、ほっぺた。一応役者やろ、おまえ」 圭介はそんな晶の態度にも気づかず、陽へ向けたものと同じ笑顔で晶がガーゼを貼っている右頬と同じ自分の右頬を指した。 「あ、ああ。あたしは、舞台役者やから。テレビちゃうし、写真ちゃうし、顔のアップ客に見られることもないから」 半ばしどろもどろになりながら、晶はそう言葉を返した。 「そっか、やったらええねんけど」 晶は、そう言って笑う圭介の表情に、ドギマギする自分に戸惑う。 「心配かけて、悪かったな。高遠も、大したことなさそうでよかったわ。じゃ!」 そう言って晶は逃げるように自分の席へ向かった。 「晶ちゃん?」 陽はそんな晶の態度の少しだけ首を傾げると、慌てて晶の後を追って席に向かった。 「なんや、2人ともちょっと変やな」 きょとんとした顔で北斗がそうこぼす。 「ま、あんなことがあった翌日やからなあ」 圭介がそう苦笑いで片づける横で、潤一郎は浮かない顔を晶と陽のほうへ向けていた。 「なんや、今日はエラい大人しいな、武藤」 北斗が、口数がいつもより明らかに少ない潤一郎にそう声をかける。 「まあなあ…。高橋が腰抜かしたなんて、おもろいシーン見逃したんは、めっちゃ悔しいわあ…。おまえらラッキーやで」 そう言って笑いながら席へ戻る潤一郎の背中を、北斗は不審な面持ちで見送った。 授業が始まると、晶は今ひとつ授業に集中できない自分にも戸惑った。後ろの席の陽も、どことなく授業に集中できていないように感じる。視線が圭介のほうへいきそうになるのをぐっとこらえ、晶は窓の外へ目をやった。南校舎の上に広がる空は青かった。 「高橋ちゃん、どうしたの、それ?」 2限の選択科目である生物の授業の開始前、移動したG組の教室で、晶は不意に美幸にそう声をかけられた。 「ああ、これか? ちょっと昨日エラい目に遭うてな」 晶は自分の席に腰を降ろしながら、そう苦笑いする。 「エラい目って? どこかにぶつけたん?」 晶の前の席に腰を降ろしながら、心配そうに美幸はそう聞いてきた。 「ちょっとな。陽と2人で男に襲われそうになってん」 美幸のあまりに的はずれな質問に微苦笑をもらしながら、晶はそう答える。 「えーっ!」 「声でかいって、柴田!」 晶はそう言いながら思わず美幸の口を押さえてしまう。 「でも、なんもされんかったん?」 「あたしが1発殴られただけですんだわ」 心配そうな美幸に、晶は右頬を指しながら苦笑いを返す。 「それやったら、よかった…んかな?」 「そりゃあ…な。マジで襲われとったら、今日学校なんか来てへんと思うし」 小首を傾げる美幸に、晶はまた苦笑いを返した。 「でも、よお逃げられたね。最近物騒やし…」 「偶然高遠が通りかかったからな。あいつが通りかからんかったら、今頃どないなっとったか。…考えたもないけど」 そう言って、晶は本当に情けなさそう笑った。 「へえ…。圭介が…」 「意外か?」 感心したような顔になる美幸の反応に、晶はきょとんとしてそう聞き返す。 「幼なじみやから、圭介のことはよお知っとおけど、やんちゃやったけど喧嘩はせえへん子やったからなあ…」 (あ、幼なじみなんか…) そう言って首を捻る美幸の言葉で、晶はようやく美幸と圭介の関係に合点がいった。 (だから、お互い名前を呼び捨てにしおうとるんや) 陽が悩んでいた2人の関係にかかっていた霧が晴れたことで、晶は少しだけ落ち着きを取り戻せたような気がした。 「あ、でも、そう言えば、従妹の子が虐められとお時は、体張ってたな」 ぽんと手を叩きながら、美幸はそう言って笑う。 「でも、圭介が喧嘩したん見たんって、そん時くらい」 「まあ、確かにあたしも意外やと思たけど」 そう言って、晶も笑った。 「子供のとこから、どことなく冷めた感じのある子やったからなあ、圭介って」 少し遠い目をして、美幸がそう言って笑う。 「子供の頃からあのまんまやったんかいな」 そう言って、晶もようやく声を上げて笑えた。 美幸の言葉で、幼い日の圭介の面影に出会えたことが、ほんの少しだけ嬉しかった。 「なにか、高遠くんと佐竹くんにお礼したいなあ…」 昼休みになると、弁当を食べる箸を止めて、陽はそう呟いた。 「お礼? お礼やったら朝にちゃんと言うたやん」 いつも通り向かいに座る晶が、少しだけきょとんとした顔でそう聞いた。 「うん…。そうなんだけど、なにか、あれじゃ足りないような気がして…」 「足らへんなあ…」 言いながら、晶も箸を止めて腕を組んだ。 陽の言いたいことはよくわかる。晶自身も「お礼の言葉」だけでは足りないような気がしていたからだ。もっとも、晶は圭介にしかそうは思っていなかったが。 「お礼やったら簡単やんか。2人に1発ずつやらしたったらええねん」 いきなり降ってきた潤一郎の声に、大きく目を見開き、顔を真っ赤にして陽が潤一郎を振り返る。 「茶化すな、武藤っ!」 慌てて晶も声を上げた。 「助けてもろた身体やろ? あいつらにやっても損ないと思うで」 潤一郎はそう言ってにやっと笑う。 「うっさい! いくら助けてもろた言うても、簡単にやれるほど安ないわ!」 潤一郎の視線で明らかに自分に向けられた言葉だとわかると、晶はそう喚いた。 「なんや。悩んどおみたいやから、アドバイスしてやったのに」 「そんなんがアドバイスになるかっ!」 心外そうな顔を作る潤一郎を晶は軽く睨みつける。 「そうか〜。なら、しゃあないなあ」 そう言いながら、潤一郎は晶と陽の弁当箱からそれぞれおかずを1品抜き取って、教室から出ていった。 「アホ! このエロ男! いっぺん死んでこい!」 晶は潤一郎の出ていったドアに向かって、そう叫んでいた。何人かのクラスメイトが、何事かと晶を振り向くが、晶は構わずに席に腰を降ろした。 「…や、やっぱり、そのほうが男の子って嬉しいのかな…」 頭から湯気が出そうなほど真っ赤になって、小さな声で陽はそう呟いた。 「武藤の言うたことなんか真に受けな。少のうても、高遠も佐竹もそんなん望んでへんから」 やれやれとため息をつきながら、晶はそう言う。 「あはは…。だよね」 照れ笑いを浮かべながら、まだ真っ赤になったまま陽は再び箸を取った。 その陽にもう一度ため息をつきながら、晶は圭介と北斗が喋りながら食事をしている席に目をやった。昨日までとまるで違って見える圭介の姿に、やはり戸惑いを覚える。が、目の前の陽の態度を見ると、もう一度ため息をつくしかなかった。 「もうええやん。ちゃんと礼も言うたし、あの2人もこれ以上の礼なんか望んでへんやろうから」 「うん…」 言い聞かせるように言う晶の言葉に、陽は小さく頷いた。 「その代わり、これ2枚やるわ」 晶はそう言って、鞄から2枚のチケットを取り出して陽の前に置いた。 「これって、晶ちゃんの舞台のチケットだよね…? なんで、2枚くれるの?」 きょとんとしながら、陽はそう聞く。 「高遠誘って、2人で見にきい。昨日の礼やと思えば、誘いやすいやろ? どう誘おうか悩むんやったら、昨日のことであたしも礼がしたい言うてたから、よかったらって、あたしの名前も出して誘たらええ」 世話がかかると思いながら、晶はそう言っていた。 「ありがとう…」 陽は、晶を崇めるような目になって、そう言った。 「ええよ。あたしかって、2枚これでさばけるんやから」 晶はそう言って笑った。少し、自分で無理をしていると思いながら。 「それと、もう一つええこと教えとくわ」 「いいこと?」 晶の言葉がなんのことかわからない陽は、首を傾げる。 「高遠と柴田、幼なじみらしいわ。だから、2人とも名前を呼び捨てにしおうてんねや」 「え? そうだったんだ」 「らしいで。柴田がそう言うとったから」 驚く陽に、晶はそう言ってニッと笑った。 |