Two Side ツー サイド

 晶を家に送り届けた圭介は、そのまま一駅電車に乗り、いつもの深江駅から家に歩いていた。深夜で人通りは少ないが、明らかに喧嘩をしてきたとわかる圭介の姿に、すれ違う人の視線が少し痛い。
(ま、ええさ。人助けやし、名誉の負傷や)
 圭介は楽観的にそう考え、いつも通りの道をいつも通りに歩いた。
「おにーちゃん、どーしたの、その怪我!?」
 家に戻るなり、高広はパジャマ姿の真由子にそう大声を上げられた。自分が思っていた以上に見えるところに怪我をしていたらしい。
「大したことないわ。ただのかすり傷や」
 高広はそう言ってドアを閉める。
「大したことないって、血出てるやん! すぐ手当てするから待っとって!」
 真由子は少し慌てたそぶりで部屋へ駆け込むと、救急箱を持ち出してきた。
「ええって。大袈裟になるやんけ」
「大袈裟もなんも、放っといたら痕残んで! 怪我は初期治療が大事やの!」
 真由子は憮然とする圭介を気にも留めず、てきぱきと準備をしていく。
「ちょっとしみるけど、我慢してよ」
「へえへえ」
 そうして、圭介は仕方なく真由子の前で大人しくしている他はなかった。いつもの幼さの残る明るい表情ではなく、真由子は動揺を隠せず不安な表情で傷の手当てをしてくれていた。
(ったく。心配性なところは変わってへんな)
 圭介は心の中で苦笑いした。
「ん?」
 ほぼ傷の治療も終わった時、真由子はふとあることに気づいた。もう一度、確認するために意識を集中する。
「おにーちゃん。誰か女の人と一緒やった?」
 いつのも圭介と違う匂いを確認した真由子は、圭介に傷薬を塗りながらそう聞く。
「それがどうかしたんか?」
「…どうもせえへんけど、怪我した理由に関係あんのかなって思っただけ」
 素っ気ない圭介の答えに、真由子は少しだけ頬を膨らせてそう言い返す。
「クラスの女の子が悪い奴に襲われそうになっとったから、ちょっと正義の味方してきただけや」
「へぇ〜、意外〜」
 これまた素っ気なく答える圭介の頬にガーゼを当てながら、真由子は唇を尖らせた。
「最近のおにーちゃん見とって、おにーちゃんって、そう言う熱血には無縁やと思ってた」
 素直な感想が真由子の口から漏れる。
「知らん女やったら放っといたわ。佐竹も一緒やったし、巻き込んで陸上部の頑張りパアにしたらアホらしいやろ」
 そう言って、圭介は憮然とした表情に変わる。
「そっか。佐竹先輩も一緒やったんや」
 北斗の名前が出て、真由子の表情はやっといつもの明るいものに変わった。
「こういうのはあいつのほうがすぐに行ってまうからな。あいつ抑えよう思たら、俺が行くしかないやんけ」
「やね」
 圭介の言葉に、真由子は嬉しそうに笑う。そう言うお人好しなところは、幼かった昔と何も変わっていないようだと。
「なにが嬉しいねん」
 真由子の表情を見て、圭介が唇を尖らせる。
「昔を思い出したん。あたしがイジメられてたら、よお助けに来てくれたなあって」
 そう言いながら、真由子は最後の絆創膏を圭介の頬に貼った。
「はい、おしまいっ」
 そう言って救急箱の片づけをする真由子はどことなく満足そうだ。
「そう言や真由子」
「なに、おにーちゃん?」
 救急箱を片づけるためと部屋に戻ろうとした真由子は、その圭介の声で振り返った。
「手当てしてくれたんはええけど、このままやったら、風呂入られへんやんけ」
「あ」
 圭介に軽く横目で見られ、真由子は思い出したように声を上げた。
「ほら、そんな怪我やから、もう入らへんのかなあと思ったし、別に汗かいてへんやん。ね?」
 慌てて必死でそう取り繕う真由子を、圭介は横目のまま軽く睨む。
「だめ?」
 苦笑いでそう聞く真由子に、圭介は大きくため息をついた。
「殴り合いしてきて汗かいてへん訳ないやろうが…。まあ、ええわ。明日の朝、シャワー浴びるから」
 圭介はそう言って立ち上がる。
「ごめんね、おにーちゃん」
「ええよ。手当てしてくれてさんきゅーな」
 すまなさそうに上目遣いになる真由子に、圭介は軽く笑いかけて部屋に戻った。
「あ〜…。人助けやとはいえ、結構殴られたなあ…」
 ベッドに横になると、圭介は愚痴ともつかないそんな独り言を吐いた。手当てをしてもらったとは言え、殴られた数カ所はまだ痛む。
「高橋も殴られとったみたいやけど、大丈夫やろうか? あいつ一応役者やし、女やもんなあ…」
 そう呟くとごろんと横になる。
「ま、別れ際は元気やったし大丈夫やろ…。あとは葛城もやな…。あいつもなにされたかわからんし…。ま、2人とも明日元気に来とったら平気なんやろな…」
 そう呟くと眼を閉じる。
「ま、何にしても通りかかってラッキーやったな…。尋ね人とかで2人の写真出たらごっつ寝覚め悪いもんなあ…。ホンマ何もなくて良かったわ…」
 それからすぐに圭介は眠ってしまった。
 隣の部屋では、ようやく聞こえなくなった圭介の部屋の物音に、真由子が安堵のため息を漏らしていた。
「さーて、あたしも寝ようっと」
 真由子がそう言って部屋の電気を消したのは、もう午前も2時を回っていた。

 朝目が覚めると、陽の頭には「?」がいっぱい浮かんだ。
 昨日、晶と2人で晶の家を出た帰り道、マンションの解体現場まで来たことは覚えている。だが、そこから今目覚めるまでの記憶がない。
(あれ? なんで自分の部屋で寝てるんだろう?)
 目に飛び込んでくるのは、確かに朝日が差し込む自分の部屋だ。しかも、昨日と全く同じ服を着ている。髪も結ったままだ。
(あれ? なnで思い出せないんだろう?)
 陽は訳がわからず、部屋をきょろきょろ見渡した。何度見ても、自分の部屋で間違いない。
「ああ、陽、起きた?」
 階下の居間へ降りていくと、彼女の母親が少し心配そうにそう声をかけてきた。
「え? なんのこと?」
 陽はきょとんとした顔でそう聞き返す。
「何言ってんの! 昨日男の子におぶってもらって帰ってきた時は驚いたわよ!」
 彼女の母親は、陽ののんきな返事にそう声を上げた。
「え?」
 陽は母親の言っていることの意味がわからず、目を白黒させる。
「何も覚えてないの?」
 陽の態度にようやくおかしいと思った彼女の母親は、そう言って陽に確認する。
「…なにがあったの? わたしが聞きたい」
 そう言う陽に、彼女の母親は軽くため息をついた。
「なんでも、晶ちゃんと2人で暴漢に襲われたそうよ。運良く通りかかった男の子達が助けてくれたみたいだけど」
「えっ!?」
 陽は目を丸くして、母親の顔をのぞき込んだ。
「覚えてないの?」
 母親の問いに、陽はこっくりと頷く。
「あらあら…」
 一度ため息をつくと、母親は苦笑いする。
「同じクラスの佐竹くんって子よ。学校で会ったらお礼言っておきなさい」
「うん、ありがとう」
 陽はそう言うと、居間を出て2階の部屋に戻っていった。
(佐竹くんが、助けてくれた?)
 陽はそう思うとぽーっと窓から見える青空を見上げた。爽やかすぎる北斗の笑顔が思い浮かぶ。陽の顔に苦笑いが浮かんだ。
(ちゃんとお礼言っておこう…)
 陽はそう思うと着替えるために洋服ダンスの扉に手をかけた。

「ひーなーたーっ!」
 窓の外から晶の元気な声が聞こえる。一度ほどいた髪を結い終わった陽は、窓を開けて顔を出すと手を振り返した。
「すぐ降りるから、ちょっと待ってて」
 陽はそう言うと、窓を閉めて鞄を手に取った。
「いってきまーす」
 陽は居間にそう声をかけると、ドアを開けた。
「晶ちゃん、お待たせ」
「おっす」
 そう言って挨拶を返す晶の右頬にはガーゼが貼り付けてあった。
「晶ちゃん、どしたの、それ?」
 歩き始めた陽は、率直にそう晶に聞く。
「ああ、これか? 昨日ちょっと殴られてな」
 晶はガーゼを指さして苦笑いする。
「ちょっと湿布くさいやろ?」
「それは気にならないけど…」
 そう言って陽はじっと晶を見た。
「晶ちゃんは大丈夫だったの? 本当に殴られただけですんだの?」
 晶から視線を外すと、陽はそう聞いた。
「ああ、平気や。あたしも陽もな。…高遠と佐竹が運良く通りかかったから」
 圭介の名前を思わず言い淀みそうなったことに内心慌てながらも、晶はそう笑う。
「あ、高遠くんもいたんだ。お母さんから、佐竹くんに助けてもらったって聞いたから」
 圭介の名前が出たので、陽は顔をほころばせてそう言う。
「ああ。やから、高遠と佐竹に礼を言うとかなな」
 陽の笑顔に内心苦笑しながらも、晶はそう言うしかなかった。
「晶ちゃんは大丈夫? 舞台、もうすぐなんでしょ?」
「ああ、これか?」
 陽にそう聞かれ、晶はもう一度頬に貼ったガーゼを指さした。
「あたしはモデルやタレントとちゃうからな。カメラで顔のアップ撮られることもあらへんから。多少腫れとおけど平気平気」
「だったらいいけど…」
 笑いながら言う晶に、陽はそう言って視線を落とす。
「ほら、晶ちゃんすごく熱を入れてた舞台だし、昨日のことで台無しになったらヤダなと思って…」
「大丈夫やって、気にすんなよ。なんとでもしてみせるから」
 晶はそう言って笑った。その笑顔は陽にはとても頼もしく映る。
「あたしこそ、手伝わせたばっかりにこんなことに巻き込んでもうてごめんな」
 そう言う晶に、陽は首を振った。
「いい舞台見せてね」
「おう、まかしといて!」
 もう一度、晶は大きく笑った。


                                         

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