不意のトラブル フイ ノ トラブル

 中間テストも無事終わり、衣替えもすんだ。
 空は夏色に近づき、青と白のコントラストを大空へ浮かべていた。
「おはよー」
「おーす」
「よっ!」
「ちーす」
 教室の中では、次々といろんな挨拶が交わされる。その声の中に晶と陽のものもあった。
「おっす、高遠、佐竹」
「おはよう、高遠くん、佐竹くん」
「よお」
「おはよう!」
 相変わらず連れ立ってやってきた晶と陽に、圭介と北斗は笑顔を返した。
 クラス替え直後の席順はこのあいだの席替えで解消され、圭介は北斗と前後の席になり、晶と陽はそこから教室の反対側に移動していた。
「おっす、武藤」
「おはよう、武藤くん」
「おっはよー、高橋、葛城」
 その晶の席の横には潤一郎の姿があった。その笑顔は特上クラスだ。
「今日から毎日武藤の顔横で見なアカンかと思うとぞっとするわ」
「おいおい、そらないで、高橋〜」
 晶の言葉に苦笑いする陽を横目に、潤一郎は情けなさそうに笑う。
「武藤が普通にしてればな。そしたらあたしも普通に接したるわ」
「勘弁してや〜。なあ、高橋〜」
「お・こ・と・わ・り」
 そうして舌を出す晶の向こうに、一限目の教師の姿が見えた。
「晶ちゃん、武藤くん、先生来たよ」
 陽が小声で言うと、ようやく気付いた晶と潤一郎も慌てて席に着いた。
 満面の笑みで晶を見る潤一郎に、晶はフンッと顔を背ける。
 そうして、潤一郎の顔に苦笑いが浮かんだ。
(ま、ええわ)
 潤一郎はそう思うと、ちらっと晶の顔を盗み見て教科書に目を移した。

 授業が始まると、陽の視線は時折圭介に注がれた。
(席、離れちゃったなあ…)
 それまでは隣の席だったから、授業の隙間を見つけては圭介の横顔を盗み見てきた。席が離れてしまった今はもう叶わない。
(やっぱり席、隣がよかったなあ…)
 陽がそう思うと、前の席の晶が当たった。晶が席から立ち上がって朗読を始める。
(そう言えば、晶ちゃんも武藤くんと最近仲いいなあ…)
 晶の背中を見ながら陽はそう思う。
(武藤くんもかなり晶ちゃんのこと気に入ってるみたいだし…、晶ちゃんもそんなに嫌ってない気するんだけどなあ…)
 そう思うと、退屈そうに教科書を見ている潤一郎の顔も見た。そこに見えるのは軟派な女たらしの横顔でない気がする。
(武藤くんの軟派って、なにか理由があるのかなあ…)
 陽は教科書に目を戻すと、そんなことを考えていた。そうして、お互い普通に接しているようなのに、「軟派な男は苦手」と今ひとつ潤一郎が気に入らない様子の晶にも不思議な感じがした。
(わたしも、今のままじゃダメなのかなあ…)
 陽はそう思うと、教科書の影で小さくため息をついていた。

 今日の2限目、男子は体育、女子は家庭科の編成だった。
「いこーぜ、陽ー」
 家庭科があまり得意でない晶が、少しかったるそうな顔でそう言う。対する陽も、あまり家庭科が得意でないため微苦笑だ。
「どーも家庭科は性に合わんなあ…」
 廊下に出るなり、晶はそう言って頭をかく。
「でも、一人暮らしが必要になったら、基礎はきっちりできといた方がいいもんね」
 そう言って笑う陽に、晶は渋い顔を返す。
「まあ、そうなんやけどなぁ。あ〜あ、男子が羨ましいわ。今日はバレーボールやって言っとったもんなあ…。こんなん男女差別やで」
 晶がそう言って伸びをしていると、ふっと前を歩いているクラスメイトの会話が耳に入った。
「え〜、ホンマにぃ?」
「うん、ホンマらしいで。高遠くんに彼女がおるって噂」
 そのクラスメイトの言葉に、晶と陽は驚いて顔を見合わせる。
「へぇ〜意外〜。高遠くんって、彼女とかいなさそうやのに」
「それがさ、先週の日曜とか、三宮で女の子と遊んどったって話やで」
「え〜、誰誰? ウチのクラスの子?」
「誰かまでは知らんねんけど、ウチのクラスの子やないらしいわ」
「へえ…。人は見かけによらんモンなんやなあ…」
 そうして家庭科実習室に入っていくクラスメイトの後ろで、陽の表情は完全に曇っていた。晶は、そんな陽の表情を見て、小声で「あちゃあ…」と呟いた。
「陽、気にすんな。そんなん噂や」
 晶はそう明るく言って陽の背中をどんと叩く。
「高遠にそんな甲斐性あると思うか?」
 晶がそう言うと、陽は少し苦笑いする。
「ああ、そうやった。陽はあたしらと見方ちゃうんやな」
 そう言って晶はにかっと笑う。
「あんましょげた顔高遠に見せんなや」
 そう言って笑う晶に、陽は複雑な笑顔を返すことしかできなかった。

「ふう…」
 授業も終わり、家に帰り着いた陽は、机に鞄を置いてため息をついていた。そうして、ごろんと横になる。
「あ〜あ…」
 もう一度そうため息をついて視線を窓の方に送る。
(あんな噂聞いただけなのに、こんなに苦しいんだ…)
 陽はそう思うと、クッションを引き寄せ顔を埋める。
(一緒にいた女の子って誰なんだろう…。クラスメイトじゃないって言ってたけど…)
 詳細がわからないだけに、思惑は乱れる。
(柴田さんかな…)
 ふっと美幸の明るい笑顔が浮かぶ。クラスメイトでないと言われても、真っ先に浮かぶのは圭介と親しく見える美幸の笑顔だった。なにをどうやっても自分には真似できない明るさが羨ましく思える。もし、美幸が圭介の恋人なら勝ち目はないような気がした。
(高遠くんは、誰が好きなのかな…)
 勇気のない自分が悔しくなる。
『友達』として傍にいることでもう満足してしまっている自分。
 それだけでも、話すらできなかった去年に比べたら格段の進歩だと思う。
 それでも。
(あと少しでいいから、近づきたいな…)
 そう思う。
 ふと、「人を好きになることに歯止めはない」という誰かの言葉を思い出した。
 去年より確実に圭介への思いは膨らんでいる。
 近づいたことでなおさら。
(もっと、高遠くんのこと知りたいな…)
 陽はそう思うと、起きあがって机の横に立てかけてあったギターを手に取った。
 弦を軽くつま弾く。
 各弦の状態を確かめ、調律する。
 5分もすれば、部屋にはアコースティックギターの優しい音色があふれていた。
 少し辛そうな表情の陽と対照的な音色だった。

「昨日の噂話、柴田やないみたいやな」
 翌日の昼休み、弁当を広げながら晶は目の前の陽にそう言う。
「え…?」
 突然のことで、陽は何のことを言われているのかわからない。
「高遠の噂話の相手や。一緒に遊びにいったん目撃されたん、柴田やないみたいやわ」
 おかずを口に放り込みながら、晶はそう言う。
 陽の顔に少しだけホッとしたような色が広がった。
「なんでも、高遠と一緒におったん、ショートカットの女の子らしいわ。やったら、柴田とちゃうやろ?」
 ニッと笑いながら言う晶の言葉に、陽は苦笑しながら頷く。
「でも、だったら誰なんだろうね?」
「ショートカットなあ…。心当たりあることはあるけどなあ…」
 陽の問いに、晶はそう微苦笑する。
「誰?」
 少しだけ慌てた声で、陽はそう聞く。
「真由子ちゃんや」
「え?」
 晶の挙げた名前に、陽は素っ頓狂な声を上げる。
「あたしらの知っとお高遠の交際範囲でショートカットの女の子言うたら、あたしと真由子ちゃんしかおらんやろ? あたしやないんやから、真由子ちゃんの線が一番有力やで」
 箸を軽く振りながら、晶はにやっと笑う。
「あ、そうか…」
「やろ? あんま心配するほどのことでもないんちゃうか?」
 笑いかける晶に、陽の表情はまた曇った。
「なんや。まだ不安なことあるんか?」
「バイト仲間とか…」
「あ、そっか。高遠バイトしとったんやな。その仲間の線もあるんか」
 ぽつりという陽の言葉に、晶はしまったという表情になる。
「飯食ったら、ことの真相を追求してみるか」
 晶はそう言うと、まだ表情が明るくならない陽を見ながら箸を動かすスピードを速めた。

「おす、高遠」
 晶は昼ご飯をすますと、潤一郎、北斗と馬鹿話を続ける圭介にそう声をかけた。
「よお、高橋。どした?」
 圭介はそんな噂のことなど露ほども知らない様子で、晶を振り返る。
「最近、真由子ちゃん見かけんけど元気か?」
 晶はいきなり核心に触れず、遠回しにそう聞いた。
「ああ、元気も元気やで。部活が休みのたびにどっか連れてけって、うるそうてかなわんわ」
 圭介は苦笑いしながらそう言う。
「やったら、こないだの日曜も真由子ちゃんの相手やったんかいな」
「まあな。服買いに行くから付き合えって、三宮まで引きずっていかれたわ」
 その圭介の言葉に、晶は意味深に笑って陽を見、陽は少し表情を緩めて晶に目線を返した。
「でも、それがどないしたんや?」
 そのふたりの仕草に、圭介は怪訝な顔を返す。
「いやな、高遠に彼女ができたって噂になっとおから、誰なんかなあってちょっと思っただけや」
「は!?」
 その晶の言葉に、圭介は思わず腰を浮かせて声を上げた。
「こいつに彼女? ありえん!」
「それは言えてるな」
 潤一郎はそう声を上げ、北斗は苦笑いしながらそう言った。
「やろ? あたしもそう思ったからさ、確認しとこうかと」
 晶もそう言って笑う。
「おまえら、三人揃ってめちゃくちゃ言いよんな」
 多少げんなりした顔で、圭介はざっと三人を見渡す。
「その噂出たんっていつ頃や?」
「さあ? あたしらが耳にしたんは昨日やけどな」
 その晶の返事を聞いて、圭介はぴんと来るモノがあったようだ。
「まあ、ええわ。どうせ噂の出所はあいつやろから、あとでとっちめといたる」
 圭介はそう独り言を言うと、乱暴に椅子に腰を降ろしていた。


                                         

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