横顔 ヨコガオ

 るるるるるる…。
「はい、高遠です!」
 電話を取った真由子は、元気にそう声を上げていた。
 ここは高遠家だ。
 かけてきた人物というのは…。
「おにーちゃん! 電話ーっ!」
 真由子は受話器の口を押さえると、圭介の部屋に向かって大声を上げた。
 やがて、うるさそうな顔で圭介が部屋から出てくる。
「誰だ?」
「柴田さんって女の人から」
 小声で聞いてくる圭介に、真由子も小声でそう返した。
「柴田? 美幸かな?」
 圭介は小声でそう呟いてから、受話器を受け取る。
「もしもし?」
『あ〜、圭介? あたし、美幸』
 電話の向こうの声は、予想したとおり美幸の明るい声だった。
「やっぱり美幸か? どないしたんや。珍しいな」
『うん。ちょっとお願いがあって電話したんやけど…』
「お願い? ホンマに珍しいこともあるもんやな」
 少ししおらしくなった美幸の声に、圭介は訝しがりながらそう聞く。4月に再会したとはいっても、晶や陽たちといることが多い圭介と、他クラスの美沙といることが多い美幸の関係は、他のクラスメイトたちとそう変わっていなかったはずだ。
「いったい何のお願いや?」
『唐突やねんけど、今度の土曜日の夕方から暇?』
「今度の土曜日の夕方…?」
 その言葉通り唐突な美幸の言葉に、圭介は目を白黒させながら予定を繰る。
「…その日はバイトの予定やな…」
『そっかあ…。ほんならアカンかなあ…』
 受話器の向こうの美幸は消沈したような声に変わってしまう。
「いったいなんやったんや? 理由によっちゃ、予定変えたらんこともないけど」
 その声に引かれ、圭介は思わずそう口走ってしまった。
『今度の土曜日の阪神巨人戦のチケット2枚貰たんやけど、一緒に行ってくれる人がおれへんねん。やから、圭介どうかなって思ったんやけど…』
 美幸の口調が少しだけ期待を持ったものに変わる。
(そういやあ、美幸は昔からトラキチやったもんなあ…)
 圭介はそう考えて口を開く。
「他の女友達は?」
『みんな野球に興味ないよ』
「野球部の連中は?」
『エコヒイキみたいになるから、私生活では距離置きたいもん』
「彼氏とかおらへんのかよ」
『いたら圭介に頼んでへんって』
 そう言うやりとりをして、圭介は少しため息をつく。
「しゃあねえな…。俺も予定変えるって言ってもうたし、つき合ったるわ」
『ホンマに!? うわあ、めっちゃ嬉しいわ! ありがと、圭介!』
 受話器の向こうで小躍りする美幸が見えるような弾んだ声だった。そこまで喜んで貰えると、悪い気はしない。
「ええよ。たまには美幸と野球観戦も悪ないわ」
『ありがと! チケットは当日渡すから! また明日、学校で!』
「ああ。んじゃな」
『おやすみ!』
 そう言って、弾んだ声は受話器から消えた。
(美幸と野球観戦ね…。久々やな、あいつと野球見に行くのも…)
「ね、今の誰?」
 圭介がそんなことを考えていると、真由子が好奇心いっぱいの表情でそう聞いてきた。
「美幸や、美幸。おまえ、覚えてへんか? 鉄工所の美幸ちゃん」
 圭介がそう言うと、真由子は少し首を傾げる。そうして、しばらくしてぽんっと手を打つ。
「美幸ねーちゃんや!」
 ぱっと開いた表情で、真由子はそう言った。
「やっと思い出したか? よお遊んで貰とったやねーか」
 そう言って圭介は苦笑いする。
「へえ…。おにーちゃんと美幸ねーちゃんって、まだつきあいあったんや」
「たまたま今年クラスメイトになっただけや」
 感心顔の真由子に、圭介は苦笑いしながらそう言う。
「それはさておき、おまえも今日頑張ったな。勝ったんやってな」
「そうや! せっかく勝ったのに、おにーちゃんそん時、野球見てたらしいやんか!」
 圭介の言葉に、忘れていたことを思い出して真由子は急に膨れる。
「朝は朝で急いでんのになかなか起きてけえへんし!」
「悪かったって」
 真由子の剣幕に、圭介はまだ苦笑いのままそう応える。
「やったら、今度の日曜日、遊びに行くんつきあってよ!」
「いっ!?」
 突然の真由子の言葉に、圭介は目をむく。
「何で俺が、おまえと遊びに行かなあかんのや!?」
「それくらいして貰っても当然やと思うよ。おにーちゃんのおかげで、矢作先生に怒られたんやから」
 じとっとした目で、真由子は圭介を軽く睨む。
「わかった、わかったわ! 日曜日はおまえにつきおうたる!」
「やったあ!」
 今にもため息をつきそうな顔で言う圭介に対して、真由子は弾けんばかりの笑顔だ。
「どこ行くかはおまえが考えとけよ」
「うん! しっかり考えとく」
 そう言って親指を立てる真由子を見て、圭介はとうとうため息をついた。
(土曜日に美幸と野球見に行って、日曜日は真由子と遊びに行くんか…。しばらく平日毎日バイトに入らんとあかんなあ…)
 圭介はそう思うと、もう一度ため息をついた。

「おっはよー、圭介!」
 翌朝、美幸は教室に入るなり、圭介の席にやってきた。
「おう、美幸。おはよ」
 圭介は相変わらず気のない返事を返す。
「昨日はありがとね」
「いや、どういたしまして」
 そう言って笑いあう。
「んでさ、土曜日なんやけど、深江駅に15時半でええかな?」
「15時半!? そんなに早くか!? 試合、18時からやろ!?」
 美幸が言う時間に、圭介は驚いてそう応える。
「だって練習見たいやんか」
 美幸は平然とそう言う。
「…練習ね…。忘れとったわ、おまえが根っからのトラキチやって」
 圭介は少しうんざりしながらそう言う。
「ほんなら、それでええかな?」
「ええ、ええ。美幸の好きな時間でええわ」
 笑顔で言う美幸に、圭介は苦笑いしながらそう応えた。
「ほんじゃ、土曜日の15時半に深江駅の改札でね」
 美幸はそう言って笑うと自分の席に戻っていった。
「なんや、柴田とどっか行くんか、高遠?」
 美幸と圭介のやりとりを見ていた晶が、そう圭介に声をかける。
「ああ、何でも土曜日の巨人戦のチケットが余ってるらしいてな、野球見に行ってくるわ」
 圭介はいつもと変わらない表情でそう晶に言う。
 その圭介の横の席で、陽の表情が少し淋しげなものに変わった。
「野球か…。あたしにはようわからんなあ…」
 晶はその陽の表情に気付いたが、圭介には何事もないような顔で話を続ける。
「まあな。あんだけ野球きちがいな美幸の方が変わってんねや」
 圭介はそう言って笑う。
 その笑顔が、陽には辛いんだろうなと思いながら、晶もつられたように圭介に笑う。思いを伝える勇気がないばかりに、耐えてばかりいる陽を何とかしてやりたいなというお節介な気持ちも少しずつ大きくなっていた。
「おーっす、高遠!」
 そんな晶の気持ちを吹き飛ばすように、潤一郎の声がしたかと思うと、圭介の頭で鞄の炸裂する大きな音が響いた。
 一瞬固まる晶と陽。
「痛ーな、武藤!」
 後ろ頭を押さえて抗議する圭介は無視して、潤一郎はふたりに顔を向けた。
「おっす、高橋、葛城」
「おっす、武藤」
 我ながら引きつった笑顔だろうなと思いながら、晶は潤一郎に笑いかける。
「おはよう、武藤くん…」
 晶が陽の声に視線を移すと、少しだけ笑顔を取り戻して陽はそう武藤に声をかけていた。
「おーす、高遠、武藤、高橋、葛城」
 そんな状態に、いつもの表情を取り戻した北斗が入ってくる。
「お、今日は普通やな、佐竹」
 潤一郎が少し意味ありげに笑いながら、そう言う。
「昨日思いっきり走ったからな。やっぱり体動かしたら気持ちええわ」
 一昨日までの撃沈していた人物と同じだとは思えないくらい、北斗はさわやかな笑顔を取り戻していた。
「ま、勝ったし良かったやん」
 晶も笑顔でそう北斗を祝福する。
 潤一郎に朝からおふざけで鞄をぶつけられた上に、北斗の思い人が同居中の従妹だと知ってしまった圭介だけが、一様に笑顔のメンバーの中で少し複雑な表情を見せていた。
「どうかしたんか、高遠?」
 その圭介の表情に気付いた晶が、そう声をかけてくる。
「いや、なんでもないわ。とりあえず、元気になったみたいで良かったわ、佐竹」
 圭介がそう北斗に笑いかけると、北斗もいつもの笑顔で笑い返した。


                                         

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