スタンドから見えたモノ スタンド カラ ミエタ モノ

 ゴールデンウィークも終わった5月6日。
 その日の授業は何事もないように無事に終わった。
 ただ1人をのぞいては。
「おーい、佐竹ーっ」
「いでっ!」
 北斗ははたかれた頭を抑えながらきょろきょろと辺りを見渡す。もうガランとしかかった教室がぼんやりと目に入ってきた。
「掃除の邪魔や。さっさと起きぃや」
 北斗が見上げると、ほうきを肩に担いだ圭介の姿があった。
「…寝てたか、俺?」
 軽く頭を振ると、北斗はそう圭介に聞く。
「ああ。5限6限とぐっすりな。八反ちゃんと妹尾先生やったから、怒られずにすんだけどな」
 言う圭介は苦笑いだ。
「なんかあったんか?」
「いや、なんでもないよ」
 聞いてくる圭介に、北斗は軽く首を振る。
「おまえにしては珍しいやないか。授業中に居眠りなんてよ」
「定期戦近いからな。ちょっと練習で疲れてんやろ」
 陸上部の北斗はそう言いながら、鞄を担いで立ち上がる。
「部活行ってくるわ」
「あんまし無理して、定期戦で転けんなよ!」
 圭介の言葉に、北斗は軽く手を振って教室を出て行った。

「こんちゃーす」
「やあ、高遠くん。今日も死ぬまで働いてくれよ」
 バイト先に顔を出すなり、マスターは笑顔でそう言ってくる。
「はいはい。今日も死ぬまで働かせていただきますよ」
 圭介はマスターを軽くあしらうと、控え室に入っていった。
 圭介のバイト先は、通学で使う阪神深江駅の駅前にある「Page55」と言う喫茶店だ。一応、本格派のコーヒーと紅茶が売りと言うことになっている。
 マスターは、成りは温厚そうで紳士に見えるが、その本性はロリコンという困りもので、圭介から見ればまともだとは言いがたい。それでも、この人の入れるコーヒーを慕ってわざわざ遠方から来る人がいること自体に圭介は驚いている。
「おーす、圭介!」
 控え室に入ると、小柄な女性が声をかけてくる。
「おう、恵里佳か。早いな」
 同じくバイトの同僚で、一昨年、昨年と同じクラスでもあった陣内恵里佳だ。ウェーブのかかった長い髪を首の辺りで一つにまとめ、大きな瞳がいたずらっ子の表情で圭介を見上げていた。
「あんたが遅いんやろ? なんしとったんな」
 恵里佳はニヤニヤしながら、そう言う。
「掃除や、掃除。着替えるから、出てってくれよ」
 圭介は少し面倒くさそうにそう言うと、手で追い払うような仕草を恵里佳に向ける。
「はななはいな。更衣室が1っこしかないっちゅーんも考えもんやな」
 恵里佳はそう言いながら、椅子からぴょこんと立ち上がる。
「女子更衣室なんかできてみぃや。マスターに隠しカメラ設置されるのがオチやぞ」
「あ、それ言えてるわ。今やと圭介の着替えとかも映ってまうもんな」
 けけけっと笑いながら、恵里佳は元気よく店の方へ出て行く。
(しっかし、なんで真由子といい恵里佳といい、俺の周りにいる女の子は元気なんやろなあ…)
 圭介はそう思うと、大きくため息をついた。

「よ〜し、ここ中間に出るから、しっかり覚えとけよ〜」
 教壇から教師の声がする。
 その声が全く聞こえていない男がいる。
 北斗だ。
 相変わらず寝ているか、虚ろな表情をしていることが多い。
「佐竹くん、大丈夫かな…?」
 隣の席の陽が少し心配そうに圭介に聞いてくる。
「さあなあ…。なんとも、やな」
 圭介もちらっと北斗を振り返って、そう声を返す。
「おいっ、高遠! 聞いてんのか!?」
 そんな圭介に教壇から教師の声が飛んでくる。
「いっ!?」
 圭介は不意をつかれて、素っ頓狂な声を上げた。
 横の陽は、教科書の陰で首をすくめて、すまなさそうに両手を合わせて謝っている。圭介の後ろの席では、晶がおかしそうに笑っていた。
「すんません…」
 圭介はそう言う他なく、わざと苦笑いを作って教師にそう頭を下げた。

 そんな日が1週間続いた。
 土曜の放課後になっても、北斗の生気のなさは相変わらずだった。
「どうしたんやろうな、佐竹?」
 帰り支度がすんだ晶は、鞄を肩にかけながら圭介にそう声をかけてくる。
「ホンマにな。起こしてやらんと、そのまま部活の間も寝てそうやもんな」
 北斗の方を見てそう言う圭介の横で、陽も心配そうに北斗を見ていた。
「女やな。そうに違いない」
 あまりにも近くで急に起こった声に3人が驚いて振り返ると、潤一郎が圭介と晶の間に顔だけ割り込ませていた。
「いきなり出てくんな、おまえはっ!」
 圭介に軽くはたかれ、潤一郎は大げさに吹っ飛ぶ振りをする。
「いや、きっと間違いない。あの様子は女や」
 めげずにやって来るついでに、潤一郎はまたそう言う。
「女なあ…」
 性別・女の晶がまずそれを口にした。
 陽はきょとんとしているだけだ。
「心当たりあるか?」
 圭介は潤一郎を振り返ってそう聞く。
「ないことはないが、まだ確信が持てへんねや」
 潤一郎は渋い顔をしながら、前髪をかきあげる。
「じゃあ、あたしらが協力してやれることなんかないか…」
「いや、あるで」
 そう言う晶に、すかさず潤一郎が口を開いた。
「高橋か葛城が裸みたいな格好で佐竹に迫れば、性欲処理の手伝いくらいはできんで」
「アホかっ!」
 自信満々で言う潤一郎の顔に、一瞬間をおいて晶の鞄が炸裂する。
 圭介は呆れ果て、陽は困ったように笑っていた。
「付き合いきれん! 帰ろ、陽」
 晶はそう言って陽の手を取ると、陽を引きずるようにドアに向かって歩き出した。
「じゃあな、高橋、葛城!」
「ああ、また来週な、高遠!」
「また来週ね」
 圭介の声に、晶は少しだけ振り返って笑顔を見せるとドアを出て行った。もちろん、陽も引きずられて一緒に消えた。
「大丈夫か、武藤?」
 顔に鞄の跡をくっきりとつけた潤一郎に、圭介はそう聞く。
「なかなかエエパンチやったわ…」
 そう言いながら、潤一郎は大きく笑う。
「おまえもアホやなあ…。高橋からかってもしゃあないやろうが」
「ムキになるタイプはからかい甲斐があんのよん」
 潤一郎はそう言うと、吹っ飛んだ自分の鞄を拾い直す。
「さ〜て、佐竹を起こしたら、俺らもトンズラこくか」
 潤一郎はそう言うとニッと笑った。

「おーい、圭介〜」
 その日のバイトが終わり、店を出たところで、圭介は呼ばれた声に振り返る。声の主はもちろん恵里佳だ。
「なんや?」
 少し面倒くさそうに振り返った圭介に、ようやく追いついたように恵里佳は少し息を弾ませていた。
「なんや心配事でもあるんか?」
 圭介の顔にびっと人差し指を突きつけ、恵里佳はそう聞いてくる。
「心配事? そんなんないぞ」
 圭介はしれっとそう言い返す。
「嘘はアカンで。こないだから、少し表情が暗いからな。なんかあったんやったら、この恵里佳ちゃんが聞いたんで」
 得意げに指を振りながら、恵里佳はそう言う。
「相変わらず、お節介やな」
 軽くため息をつくと、圭介は呆れたようにそう言った。
「性分やからな。で、なんや?」
「それやったら、そこの公園まで行こうや。立ち話も何やしな」
「ウチをそんな暗がりへ連れてって、襲う気やろ!?」
 歩き出そうとする圭介に、恵里佳はわざと大げさな身振りでそう言う。
「漫才する気やったら、帰んぞ」
 その恵里佳に、圭介は思わず冷たい視線を投げてしまう。
「嘘や嘘や。ちょっとした冗談やないか。ホンマにあんたはこういう時に融通利かんなあ」
 恵里佳は苦笑いしながらそう言うと、圭介の横に駆け寄った。
 途中、自販機でジュースを買うと、二人は駅前から少し離れた公園のベンチに腰を降ろす。
「圭介は遠回りやけどええんか?」
 腰を降ろすなり、恵里佳はそう聞いてくる。
「別に。恵里佳はこっちの方が近いやろ?」
 圭介はそう言うと、缶のタブを開けた。乾いた音が夜の公園に響く。
「で、なんや?」
 ジュースを一口飲んだ後、恵里佳は真っ直ぐにそう聞いてきた。
 圭介はその興味と好奇心の勝った瞳に、思わず苦笑を漏らす。
「佐竹がな、ゴールデンウィークが終わった辺りからおかしいんや」
「おかしいって、どんな風に?」
「ほっとんどいっつも虚ろやな。寝とるか」
 圭介のその言葉を聞いた瞬間、恵里佳の唇がニッと歪む。
「女やな。間違いあらへん」
 去年同じクラスだった北斗の顔を思い出して、そう恵里佳は断言する。
「武藤にも同じこと言われたわ」
「やろな。普通に考えたかてそれしかあれへんわ」
 呆れたように言う圭介に、恵里佳はそう笑う。
「なんか心当たりあらへんのか?」
「あったら、何とかしたろうかなとか思っとおわ」
 圭介は恵里佳の言葉にそう息を吐く。
「相変わらずお人好しやなあ。人の心配しとお暇があったら、自分の女探しいや」
 恵里佳は苦笑いしながらそう言う。この男の鈍さとお人好しには底がないのではないかと言うことは、今までにさんざん思い知らされた。片思いだった2年前が懐かしくさえ思える。
「女なあ…」
 そう言うと、圭介はちらっと恵里佳を見る。
「女なあ…」
 恵里佳から視線を外すと、圭介はまたそう言った。
「どういう意味やねん、それ!」
 圭介の言葉と視線の意味に気づいて、恵里佳はそう声を上げた。
 圭介もからかいの意味に気づいてくれたことが嬉しくなって声を上げて笑った。


                                         

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