「おにーちゃん、朝やで。バイト行くんでしょ!?」
 真由子の声が圭介の部屋に響く。
「おにーちゃんってば!」
 何度目の揺り起こしかで、圭介の目はやっと半開きになる。
「おにーちゃん、朝やで!」
「ああ、真由子か…。誰かと思たわ…」
 圭介は寝ぼけ眼でそう呟くと、目をこすって大きくあくびをする。
「ご飯できとおから、早よ支度してよね」
 真由子はそう言うと、とことこと部屋を出ていってしまった。
「ああ、そうか…。昨日から、真由子預かってたんやっけ…」
 圭介はそう呟くと、もう一度大あくびをしてベッドから出た。
「はい、朝ご飯どうぞ」
 台所に立つ真由子がそう言って笑う。
「おおおおっ!? これ、全部おまえが作ったんか!?」
 圭介はテーブルに並んだ朝食に目を見張る。いつもの淋しい朝ご飯嘘のようだ。
「うん。料理は得意やし、好きやもん」
 真由子は特に誇らず、普通にそう言って笑う。
「こりゃあ、助かんな…。いただきます」
 圭介は椅子に腰を降ろすと、がつがつと朝食に手をつける。
 味も文句のつけようがない。
「これで、わたしがここにいるのも迷惑やないでしょ?」
 真由子は圭介の前の席に腰を降ろすと、圭介をのぞき込むようにそう言う。
「ああ。これやったら、追い返す訳にはいかへんな。好きなだけいろよ」
 圭介はそう言いながら、あっという間に朝食を平らげた。
 まともな朝食など、何年ぶりだろうか。
「ごっそさん! サンキューな、真由子」
 真由子は嬉しそうな圭介に首を振る。
「すぐバイトに行くんよね?」
「ああ。んじゃ、行ってくるわ」
 圭介はいいながら、玄関に向かう。
「行ってらっしゃい!」
「後頼むな」
 そう言って圭介は部屋を出た。
 まだ半日だというのに、真由子のいる生活に違和感を感じない自分がおかしい。確かに子供の頃から兄妹のように育っただけに、納得もできるのだが、真由子が中学に上がってからはしばらく疎遠になっていたはずなのにと笑ってしまう。
(ま、飯も作ってくれるし、家事は頼んでええって叔母さんも言ってたよな)
 圭介はそう自分に都合よく解釈すると、バイト先への道を急いだ。

 バイトの最中は、忙しさと暇さ加減がまちまちにやってくるだけに、疲れる時はかなり疲れる。そんな暇な隙間に、圭介は突然現れた真由子のことを考えていた。
(なんで、急に俺ん所へ来たんやろうか?)
 一番の疑問点はそこだった。
 住み慣れている自分の家で、両親が帰ってくるまで一人で生活していてもよいはずだ。今の自分のように。だが、真由子はそれをせずにわざわざ従兄の自分の家に、それも言ってみればものぐさで通っている自分の世話をしにやってきたのだ。
(ホンマになんでなんやろうな?)
 考えれば考えるほどわからなくなる。
 自分なら、明らかにしない選択だ。
 それに、真由子の家はそんなに離れていない。せいぜい1キロも離れていればよいところだ。
「お〜い、高遠くん、どうかしたのかい?」
 思案顔の圭介に、マスターが声を掛けてくる。
「いや、なんでもないッスよ」
 思案顔を崩した圭介がそう言うと、ドアのカウベルが鳴る。
「いらっしゃいませ!」
 圭介は客が来たのを機会に、その思考を一時中断した。

 その日も、遅くまでバイトをした圭介は、くたくたになって家路につく。

「お帰り! ご飯できとおし、お風呂入ってんで!」
 マンションのドアを開けた途端、真由子の明るい声が返ってきた。
「…手回しええな」
 呆然としながら、圭介は靴を脱ぐ。
「うん。そりゃあ、ウチの家はお母さんもお父さんもものぐさやから」
 真由子はそう言って明るい顔で笑う。
「…なるほどな」
 圭介は叔父叔母の顔を思い出し妙に納得してしまう。そう考えれば、15歳という歳の割に、真由子は苦労しているなと思う。
「ところでおにーちゃん」
「なんや?」
 夕食に手をつけながら、圭介は声を掛けてくる真由子を見上げる。
「入学式は、出てくれるんでしょ?」
「はっ!?」
 真由子の言葉に、圭介は怪訝な顔で真由子を見た。
「入学式!? そーいや、おまえも今年から高校生か…。どこの学校や!?」
「おにーちゃんと一緒。県立菟原」
 真由子が言うと、圭介は思わず飲みかけのお茶を吹き出す。
「菟原!? おまえも菟原なんか!?」
 圭介は吹き出したお茶を慌てて拭きながら、真由子にそう聞く。
「なによお…。わたしが菟原やったらおかしい?」
 思わず唇をとがらせ、真由子は抗議するような目で圭介を見た。
「いや、本気で驚いただけや…。確か、おまえ小学校の時は国語と算数苦手やったよなあ。よお学区2番目の菟原に入れたな…」
 圭介はそう言ってもう一度真由子を見た。
 圭介の通う県立菟原高校は、甲南市内にある8つの公立高校の中では御影高校に次ぐトップクラスなのだ。学区の違いによって隣市の神戸市や西宮市への越境進学ができない甲南市内の中学生にとって、県立菟原高校は意外と狭き門なのだ。国語と算数が壊滅的だったはずの真由子がその門を無事に通過したことが不思議だった。
「ちゃんと頑張ったもん! ぎりぎりやったと思うけど、ちゃんと勉強して、ちゃんと合格したもん!」
 真由子はそう言って頬をふくらせる。
「そうか…、それはおめでとう」
 圭介はまだ信じられないといった顔で真由子にそう言った。
「気持ちがこもってへん! わたし、おにーちゃんの後輩になるんよ!」
 まだふくれている真由子は、そう言ってさらにふくれる。
「わーった、わーった! 信じる信じる。まあ、先輩として歓迎してやるわ」
 圭介がそう言ったので、ようやく真由子はにっこりと笑った。
「という訳やから、入学式の時、保護者よろしくね」
「へいへい」
 圭介は真由子の笑顔に、面倒くさそうに苦笑いするだけだった。


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